突然だけど、いったいどの世代まで全盛期の辻発彦を知っているのだろうか?

プロ入りが84年で、95年まで西武在籍。球界最高の二塁手としてゴールデングラブ賞8度、ベストナイン5度受賞。
93年には打率.319で首位打者獲得。96年のヤクルト移籍初年度には打率.333を記録。そして99年限りで現役引退だ。

恐らく、現在20代後半の人がなんとかリアルタイムで辻を見たことがある最後の世代だと思う。25年前の埼玉の野球少年の間では、好きな選手を聞かれて清原和博や秋山幸二ではなく、「辻」と答えるとなんか大人な気分になれたあの感じ。おじさんは思わず「君は辻を球場で見たか?」なんつってブランデー片手に語りたくなるいぶし銀。


秋山清原ほどメジャーじゃなく、羽生田忠克ほどマニアックすぎない。まさに辻発彦とはそういうプレーヤーだった。その辻が監督に就任した新生西武が順調なスタートを切った。14試合、8勝6敗でAクラスの3位をキープ(20日現在)。
楽天とオリックスが絶好調なのでなかなかニュースにはなりにくいが、まずは新監督のもと上々の開幕と言ってもいいだろう。

厳しすぎた広岡監督のもとでプレー


やはり辻発彦と言えば、現役時代にプレーした数々の名将とのエピソードが興味深い。

例えば、プロ1年目にはあの厳しすぎる広岡達朗のもとでプレー。
とにかく広岡監督の指導は、現代でやったらチーム全員移籍志願レベルでハードだ。

春季キャンプでは、守備練習で若手が1人がエラーすれば「なんだ、おまえの捕り方は! 秋山はできるのに」とライバルを引き合いに容赦ないダメ出し。

さらに怪我をしたチームリーダー石毛が試合には出れますとガッツを見せると、「バカヤロー! 出すか出さないか、決めるのは俺だ」なんて一喝。
もしも会社で「風邪引いてしまいましたが、重要なプロジェクトに穴を開けたくなかった」と根性で出社してこんな叱られ方をしたら、昼休みに転職サイトをチェックしたくなるくらいヘコむ。

それでも若手時代の辻はそんな厳しすぎる監督に必死に食らいついていくわけだ。

異様にポジティブな辻発彦


辻の著書を読むと当時の様子が詳しく書かれているが、とにかく辻は人の短所ではなく、長所を見る能力に長けているように思える。さらにいつでも前向き。

ベテラン選手が広岡への反感を強める中、「あの厳しさが私を鍛えてくれた。もしも最初からぬるま湯につかっていたら…。若い頃の苦労は買ってでもしろというのは、やはり本当だと思う」と感謝すら書き残している。

この異様なポジティブさはまさに監督向きとも言えるのではないだろうか。

森監督が見せた“細かい気配り”


そして、広岡の次に就任したのが名将・森監督。ここでも辻は森さんの長所の“細かい気配り”に注目する。


優勝争いをする大事な一戦で痛恨のゲッツーを打った時の話だ。
意気消沈して宿舎に帰って眠れない夜を過ごす辻のもとに、森監督から1本の電話が掛かってくる。すると「何をそんなに落ち込んでいるんだ。これまで130試合近く戦ってきて、おまえの力で何試合勝たせてもらったと思っている?」という優しい一言。

どうやら森さんはロッカーで落ち込んでる辻の姿を見ていたようだ。って俺なら泣く。
ボス一生ついていきますと号泣する自信がある。抱かれてもいい。いやそれは言い過ぎだ。
そんな理想の上司にも恵まれ、辻は西武黄金時代の不動のレギュラーとして定着。全盛期には“日本最高の二塁手”と言われるまでになる。

晩年はヤクルト野村克也のもとでもプレー。
もちろんボヤく間もなく、ノムさんと高度な野球理論を交わし、中日コーチ時代に仕えた落合博満監督に対してもオレ竜の決断力を絶賛。決してディスらず、歴代名将たちの悪いところではなく、良いところを見て自分に取り込んできた男、辻発彦。

果たして、辻新監督はあらゆるタイプの指揮官のDNAを継承する“新時代の名将”になれるだろうか?
(死亡遊戯)


(参考資料)
『プロ野球 勝ち続ける意識改革』(辻発彦/青春出版社)