気が付けば、あれから30年。

本日17日から開始の池袋PARCOの『ファミスタ』30周年リミテッドストアへ行って来た。

伝説の野球ゲーム『ファミリースタジアム』のプロ野球コラボグッズが今シーズンも販売スタート。12球団の人気選手をモチーフとしたTシャツ・トートバッグ・缶バッジ、さらにはミュージシャンの電気グルーヴとのコラボTシャツまで。

当然、大人買いをかましたわけだが、会場にはこれら多くのグッズとともに歴代のゲームソフトも展示。さらに懐かしのファミコン本体と『ファミスタ'93』が置かれ、実際に遊ぶこともできる。で、久々に93年版をプレーしてみて思ったわけだ。

「西武、超強ぇー」と。


ソフトの発売日は92年12月22日。つまり西武が日本シリーズ3連覇を達成したシーズンオフに出たファミスタである。

黄金時代後期、86年に「新人類」と呼ばれたピチピチの若手選手たちがそれぞれ経験を積み、まさにチームとして円熟期を迎えていた90年代前半。この頃の、西武の代名詞と言えば秋山幸二、清原和博、オレステス・デストラーデが並んだ超強力クリーンナップだろう。

当時、西武の地元埼玉では放課後に友だちと『ファミスタ』対戦をすると、みんな規格外の“AKD砲”を使いたくて、試合前にうまい棒を投げ合う何だかよく分からないバトルが勃発したものだ。

このAKD砲はどのくらい凄かったのだろうか? 西武がぶっちぎりの強さで3年連続日本一を勝ち取った90~92年シーズンの3人の成績を振り返ってみよう。


凄かった“AKD砲”の成績


90年 130試81勝45敗4分 勝率.643
(2位オリックスに12ゲーム差)
秋山     率.256 35本 91点 51盗
清原     率.307 37本 94点 11盗
デストラーデ 率.263 42本 106点 10盗

91年 130試81勝43敗6分 勝率.653
(2位近鉄に4.5ゲーム差)
秋山     率.297 35本 88点 21盗
清原     率.270 23本 79点 3盗
デストラーデ 率.268 39本 92点 15盗

92年 130試80勝47敗3分 勝率.630
(2位近鉄に4.5ゲーム差)
秋山     率.296 31本 89点 13盗
清原     率.289 36本 96点 5盗
デストラーデ 率.266 41本 87点 12盗

改めて数字を見ると、凄いを通り越して怖い。とんでもないクリーンナップだ。
本塁打数や打点だけでなく、意外と盗塁も多いことに驚かされる。

特に90年は秋山28歳、清原23歳、デストラーデ28歳と年齢的にも全盛期バリバリ。秋山は『28歳最強説』そのままに51盗塁でタイトル獲得。ちなみにこのシーズン達成の「30本・50盗塁」はNPBでいまだに秋山のみの偉業だ。
“カリブの怪人”デストラーデは42本、106打点で二冠獲得、NPB初のスイッチヒッターでの本塁打王が誕生した。

まだ高卒5年目の清原も3割・30本に加えて二桁盗塁もクリア。3人で計114本、291点の桁違いの爆発力。

もちろん日本シリーズでもセ独走優勝の巨人を4連勝で一蹴。「オフは当時の彼女とハワイでゴルフばっかしていた」なんて豪快に笑う清原。すべては、切ないくらいに輝いていた。いまだに1990年の西武ライオンズをプロ野球史上最強チームとして挙げる野球ファンも多い。


終わりを迎えた西武黄金時代


91年、92年もAKD砲の破壊力は健在でチームの日本シリーズ3連覇に貢献。彼ら最強クリーンナップに加え、名脇役達が顔を揃える打線、強力投手陣に鉄壁の守備。

この神がかった強さはしばらく続くと思われたが、92年オフにデストラーデが地元フロリダにできた新興球団のマーリンズでメジャー復帰。翌93年秋には秋山幸二が電撃トレードでダイエーホークスへ移籍。さらに94年限りで森監督も退任し、西武黄金時代は終わりを告げる。

毎年80勝以上を記録し、“ブルーサンダー打線”のオリックスを寄せつけず、野茂英雄を擁した近鉄をも圧倒してみせた常勝・西武ライオンズ。

ちなみに94年オフ、西武の堤オーナーは夢よ再びと「ダイエーからFAで秋山、メジャーからデストラーデを呼び戻して、再び清原とクリーンナップを組ませろ」とAKD砲再結成を現場に厳命するも、秋山は最終的にダイエー残留。95年に西武復帰したデストラーデも初来日時の姿とは程遠く6月に帰国した。

わずか数年間、3人のスラッガーの全盛期が同チームで重なった奇跡。野球ファンはあの奇跡のようなクリーンナップを忘れることはないだろう。

そして、AKD砲は伝説となったのである。
(死亡遊戯)


(参考文献)
『卒業』(秋山幸二/西日本出版社)