子どもの頃、夢中になった選手はどんな現役生活晩年を送り、今何をしているのか?

秋の夜長に90年代の野球雑誌を見ていると「あの選手は最後はこういう現役の終わり方をしたのか」という発見が多くて驚く。

例えば、西武黄金時代の後期に鹿取義隆や潮崎哲也とともに“サンフレッチェ”と称され、ブルペンの一角を担った左のリリーバー杉山賢人はドラフト1位の期待通りに93年リーグ最多の54試合に投げ、7勝2敗5S 防御率2.80の成績で新人王を獲得。

翌年以降は成績を徐々に落としながらも左の中継ぎ投手として働くが、99年途中阪神、2000年途中近鉄、2001年途中横浜となんと3年連続でシーズン途中にトレード移籍している。サラリーマンでもあまり聞いたことのないハイペース転勤族。
結局、01年限りで引退しているが、最後に在籍した横浜監督は西武時代の恩師・森祇晶だった。

ところで2017年、杉山賢人は何をしているのだろうか……と思っていたら、先月末にあるニュースが報じられた。
今季台湾・ラミゴで2軍投手コーチを務めていた48歳杉山の18年からの西武二軍投手コーチ就任である。おおっ点と線で過去と今が繋がった。
これこそ連続ドラマのプロ野球の魅力だと思う。

93年最優秀救援投手に……巨人の石毛博史


この杉山が鮮烈デビューを飾った93年、セ・リーグではどんなリリーバーがいたのか確認してみたら、最優秀救援投手は30セーブを挙げた巨人の速球派クローザー石毛博史だった。当時まだ23歳の若さだ。

千葉の市立銚子高から88年ドラフト外で巨人入り。1年目は支配下登録されずに練習生扱い(今で言う育成選手的な立場)で、大怪我からの復帰を目指していた吉村禎章の打撃投手を務めていたという。肘と肩に不安があり長いイニングは難しいが回復は早い。故・宮田征典投手コーチから将来の抑え候補として英才教育を受け、選手登録され試合に出られるようになった2年目にはイースタンでセーブ王に。
翌91年には1軍デビューを果たす。

その188cm95kgというWWEのプロレスラー中邑真輔クラスの恵まれた体格から投げ込む150キロ越えの速球とスライダーを武器に、4年目の92年には早くも52試合で16セーブ、防御率1.32の好成績で1軍クローザーに定着。93年からは橋本清との「勝利の方程式」で長嶋監督から重宝され、93年は30セーブ、94年は19セーブと活躍する。

ちなみにセ・リーグ最優秀救援投手は92年佐々木主浩(大洋)、93年石毛、94年高津臣吾(ヤクルト)と彼らが若きリリーバーBIG3的な立ち位置だった。ピーク時の石毛がどれくらい凄かったかって、佐々木や高津クラスと言えば伝わりやすいだろうか。

突然のトレード……近鉄へ移籍


だが、異常な注目度の中で徐々に疲弊していった石毛は95年は救援失敗を繰り返し、登板すると相手応援席から拍手が沸き起こる状況にまで追い込まれる。そして、97年1月に年俸調停で揉めていた石井浩郎との交換トレードで吉岡雄二とともに近鉄へ移籍。

それにしても、当時の球界は良くも悪くも選手の見切りが早い。なにせ96年終了時、通算229試合に投げ、80セーブを挙げていた26歳の元クローザーをあっさりと放出してしまうのだから。

ちなみに石毛はチームメイト達とゴルフをしている最中に携帯電話が鳴り、東京ドーム近くの後楽園飯店に呼び出され近鉄へのトレードを告げられている。この時「一瞬、拒否して自分の野球人生を終わらせて巨人フロントを困らせちゃおうかな」と思ったという石毛だったが、翌日には球団事務所へ出向き移籍了承。

なお定岡正二は85年オフに近鉄トレードを拒否して29歳の若さで現役引退、86年オフにはロッテの落合博満との大型トレード要員として名前が上がった篠塚和典が巨人を出されるなら辞めると意思表明。そんなジャイアンツ・アズ・ナンバーワン的な空気が残っていた最後の時代が90年代後半だと思う。


石毛博史の現在


近鉄移籍後の石毛は慣れない大阪生活と先発起用とガラガラの球場に戸惑いながら、2000年には46試合、01年には25試合に投げ近鉄最後の優勝メンバーに。翌02年戦力外通告を受けるも、33歳の03年に阪神へテスト入団。わずか17試合の登板に終わったが、ここでも星野阪神18年ぶりの優勝に立ち会った。

プロ17年目の05年に右肘靱帯断裂をきっかけに引退を決意。通算375試合登板、34勝29敗83セーブ、防御率3.44。巨人、近鉄、阪神と在籍したすべての球団で優勝を経験する強運にも恵まれた。
20代前半の若さで巨人のクローザーに定着してタイトル獲得。その頃の華々しいイメージが強いが、石毛は05年まで3球団を渡り歩き、セーブ王獲得からも10年以上サバイバルを続けていたのだ。

そんな石毛は、今どこで何を? 
47歳の元勝利の方程式を担った男は東大阪を本拠地とする独立リーグ球団06BULLSで、自分より30歳近く年下の選手相手に投手コーチを務めている。しかも昨年10月には投手として登板(2回1/3を4安打1四球2失点)。なおこのゼロロクブルズの監督は元近鉄で活躍した村上隆行だ。

プロ野球選手は全盛期が終わってからが勝負。
引退してからが正念場。数々の終わりを繰り返し、その度に生き残り、彼らはそれぞれの第二の人生を生きている。


(参考文献)
『元・巨人 ジャイアンツを去るということ』(矢崎良一著/廣済堂文庫)
『日本プロ野球偉人伝 vol.11(1991→93編)』(ベースボール・マガジン社)
『ドリームネクストwebサイト 石毛博史編』