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いこうぜ、「味の向こう側」へ

70噛みしたあたりで、ふいにあらわれる、ごはんの「味の向こう側」。衝撃的です。

若手漫才師「麒麟」の田村くんが、先日、テレビ番組でこんな気になる話をしていた。

彼は貧乏な生い立ちで、公園の遊具に住んだり、雑草の天ぷらを作って食ったりと様々な苦労をしてきたというのだが、そんななか、「味の向こう側」というものを発見したという。

たとえば、ごはんなどは「よく噛めば甘みが出てくる」というが、「噛んでいると甘みが出て、さらに噛んでいると無味になり、さらに噛んでいると、新しい味が出てくる。それが味の向こう側」というのが彼の説だ。
自分なんかは早食いなので、もっとよく噛まないといけないと日ごろ反省しているのだが、これは新境地かもしれない。彼のいう「味の向こう側」とは何なのか、私にも「味の向こう側」が見えるのだろうか。
スルメ、パスタ、食パン、ごはんで試してみた(一部ダンナ参加)。

まずスルメ。さすが「噛めば噛むほど味が出る」とはよく言ったもんで、100回噛んだ時点でも味はある。無味になってきたのは、繊維がボロボロしてきた160噛み地点。このボロボロをなんとか飲み込まないようにするのが、ひとつのポイントだろう。
ダンナもクチャクチャやっては崩壊、を繰り返しているよう。
口の中でやさしく転がしつつ、ボロボロを死守し続けたところ、なんと210噛みぐらいでソレは現れた。味の向こう側―無味の次の「第二次甘み」である。美味しい! だが、これも230噛みであえなく崩壊した。味の向こう側はあっという間、儚い夢のようだ。

続いて、パスタ。これは残念ながら70噛みぐらいで崩壊。向こう側どころか、無味の地点までも到達しなかった。

次の食パンは60噛みぐらいで無味の領域に入ったが、70噛みあたりで新たに「酸味」が登場。どこから来たんだ、酸味って? どことなく薄気味悪い気がしなくもないが、80噛みあたりにはそれも消失してしまった。噛み方が何か違うのか、いっぽうのダンナは200噛み近くまで保たせるという域に到達。
「一瞬、もう一回甘くなったようなような気もしないでもないけど、唾液の味かもしれない」
との弁。

最後は、大本命の白米。
向こうに何かが待っているとは思えないほど、一口目から絶好調に美味いが、30噛みぐらいで甘みが増し、40噛みでコクも増してきた。だが、ピークはそこまでで、50噛み目で寂しい味わいになり、無味に到達した後の70噛み目。一条の光のように、待ち焦がれた「向こう側」が登場した。ダンナも、「おお!?」と何かを見たかのよう。
なぜか香ばしく、ほんのり苦味と甘みが絡み合う奥行きのある味わいで、五穀米の風味にも似ている。マクロビオティックな感じだ。

たとえば、今までの私の早食い・早飲みの食事では、私はご飯のソロパートの響きしか知らなかった。それが、大事に大事に辛抱強く育てることによって、ご飯が持つ重音の響き・コーラスが響いてきたような印象だ。

私とダンナでもそうだったように、噛み方、体温、唾液など、個人差はいろいろあるだろうけど、たぶん誰でも見ることができる「味の向こう側」。そのなかでも、やはり格別なのは、白米だ。
新しい食事の楽しみを教えてくれた田村くん、ありがとう。
(田幸和歌子)

2005年11月29日 00時00分

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