「ネイルオブジェ」…ネイルを立体的なアート空間に見立てた作品で、まさしく職人業である。一体、どのようにして「ネイルオブジェ」は生まれたのだろうか。
ネイルオブジェの第一人者で、世界からも注目を集めているSAYOKOさんにお会いして、お話を伺った。

――SAYOKOさんの「ネイルオブジェ」は、ネイルアートよりも立体的な作品が多いですね!そもそも、ネイルに興味をもったきっかけは?
「小学生の時、ソウル五輪でジョイナーを見たのがきっかけです。普通の人はジョイナーが走る姿に注目するんでしょうけど、私は爪の方に目がいったんです」

それもそのはずで、ジョイナーの長い爪の一つ一つに国旗の絵が描いてあったという。当時、ネイルアートが日本に全く浸透していない頃のことである。それを見たSAYOKOさんは「私もまねしたい!」と思い…。

「早速。
マニキュアを買ってもらったけどうまく塗れず、マジックで爪1本ずつに違う柄を描いてましたね。なので、“セルフネイルアート”は8歳です。(笑)」

読者の女性の皆さんの中には「私もまねしたことある」という人もいるのではなかろうか?
しかし、上の写真を見てもお分かりの通り、SAYOKOさんのネイルオブジェは、ネイルアートとは違う。まずは、上の写真のネイルオブジェについて聞いてみた。(PCでご覧の方は、下の方にある「関連写真」も合わせてご覧下さい)

――ケリー風のバッグとバーキン風のバッグの「ネイルオブジェ」を作ってらっしゃいますが、作ろうと思った理由は?
「私が欲しかったからです(笑)。そのうち本物が欲しいなぁ~と思ったので作りました。
あとはバッグを作ろうと思いついた時に、誰にでもわかるアイコン的なデザインのバッグがいいな。とも思い、モチーフに選びました」

元々、図工や美術が好きだったSAYOKOさん。ネイル用のアクリル樹脂を使えば色々な形が作れるということでハマってしまい、独創的かつ独走的な作品を生み出すように。
「好きなことには負けず嫌いですね。ただ私の場合、人と競う勝ち負けよりも、自分に対してというか、自分の作品を妥協せずにどこまでこだわれるか?…な気がします。人と違った、新しいことがやりたいという気持ちも、常にどこかにありますし」

かといって、SAYOKOさんは美術系の大学に進学したわけではない。
仙台の大学に通いつつ、「就職活動をどうしよう・・でも、このまま就職してもうまくいかないような気がする…」と思っていた頃…。
「悲しいことに、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさんが亡くなったんです。不幸が続いて、家族全員が自然とそれぞれの人生を意識するきっかけになりました。すると、両親から、『もしも何かやりたいことがあるなら、ってもいいよ』って言われたんです。しかも、返すっていう約束で『家庭内奨学金』を出してくれることになりまして」

SAYOKOさんは、改めて『自分は何がしたいんだろう』と自問自答したという。
「そこで、ジョイナーのネイルアートことを思い出したんです。
『私がやりたかったのはこれだ!』と思いました」

●ネイルアートなのに、「靴」をつくったところ…

結局、就職はせずに、『家庭内奨学金制度』を利用して、大学卒業と共にネイルスクールへ入学。そこで、早くも頭角を表すこととなる。初めての課題で提出した作品が、いきなり好評だったのだ。それは、ネイルアートという次元を超えた、立体的な“靴”であった(※PCの方は下の関連写真を参照)。ネイルアートというと「塗る」というイメージが強いが、SAYOKOさんは既にこの時から、「オブジェ」を作っており、この作品が、SAYOKOさんのネイルオブジェの原点となったのだ。

――どういう発想で思い付いたんですか?
「ネイルって、まずは爪の形を整えるところから勉強し始めるんですけど、四角形にしたり、尖った形にしたり、丸い形にしたりと、数種類のパターンがあるんです。
このパターンの特徴って、靴のつま先部分に似てるなぁ~と感じたところから、思いきって靴を作ってみたんです」

SAYOKOさんのアタマの中には「爪の形をモチーフにして、面白く見せたい」との思いがあるそうだ。

「私は、既存のモノのイメージを壊すことが大好きなので、今思えば心の底に、ネイルアートのイメージを壊したいという思いがあったのではないかとも思いますけど(笑)」

しかも、初めて作った作品がいきなりの高評価で、試しに投稿した雑誌に掲載されたのだ。

「先生からも『雑誌に掲載されたら、スクールの名前も載って、宣伝になるから』と言って、投稿するように言われて(笑)」

●仙台からイチかバチかの上京!東京売り込み作戦

その後も作品を作っては投稿し、『スタイリッシュネイル』『ネイルUP!』『ネイルMAX』のいずれでも紹介されたそうだ。ネイルスクールを卒業し、「ネイリスト技能検定1級」を取得したのを機に売り込みをかけることに。

――どうやって売り込んだんですか?
「私の場合、売り込み方がよく分からなかったので、手作りですよ。賞をいただいた作品を中心に自分の作品の写真をまとめた作品集を作って、あとは思いの丈を打ち明けた手紙を書きましたね」

仙台から電車で一人で東京に出てきては、慣れない街での売り込みを実行。


何度も往復を重ねて、靴の底がすり減ってきた頃、奇跡は起きた。
なんと、ブルジョワの広告用作品制作の仕事が決まり、その作品がフランスのシャネルグループ社内誌で紹介されたのだ!

「本当に嬉しかったです。しかも、日本人で大きく紹介されたのが初めてだったそうで、日本支社の皆さんも喜んでくれました」

さらに、「madame FIGARO (マダムフィガロ)」のフランス版でも紹介されたのだ!
盆と正月が一気に押し寄せてきたようなものである!(←この例えが合ってるかどうかは別として)

すっかり勢いに乗ったSAYOKOさんは、ネイルアートの発祥の地、アメリカへ…と思ったが、ビザや金銭面を考慮した結果、ニューヨークに比較的近かったカナダへ渡り、初めはトロントの語学学校で勉強することに。その後、縁があって、現地のネイルサロンのオープニングスタッフとして働かせてもらえることになったのだ。

と、ここまでは順風満帆に思えるが、実は、SAYOKOさんには大きな問題が。それは「英語があまり喋れなかった」ということ。数か月の間は語学の学校に通ったものの、現地の人と流暢に喋る自信はない。

――サロンでの接客の時はどうしてました?
「もう、隣で接客しているスタッフが喋っているフレーズを、必死で聞いて完コピしましたよ(笑)。こういうふうに英語で言えばいいのか~って」

ちょっと昭和っ子には懐かしい言葉でいうところの「耳をダンボな状態」にして奮闘していたのだ。

――ちなみに、トロントのお客さんの特徴はありますか?
「日本とは違って、あまり凝った要求はありません。日本でしたら、自分でできないような柄をお願いする方が多いですが、トロントは本当にシンプルなデザインのオーダーが多いです」

●ピンチ&チャンス到来!レクチャーしてくれと言われて…

そんな中、SAYOKOさんにとっては思ってみなかった「チャンスであり、ピンチでもある話」が舞い込んでくる。それとは「スタッフや現地のネイリストのためにネイルアート講座を開いて、教えてほしい」というもの。さぁ、困った!技術が認められて“先生”をやってくれと言われたものの、なにせ英語にはまだまだ難がある状態。今までは、他のスタッフの会話を耳をダンボにして聞いていたのに、今度は耳をダンボにして聞かれる側になったのだ!困ったぞSAYOKO!どうするSAYOKO!?

「カナダ人の同僚に相談して、まずは英語で書いたテキストを作りました。あとは、英語を必死で喋りつつ、通じないところはその同僚を頼ってネイティブな英語でしゃべり直してもらいましたね。日本語でも実演をしながら解説するのは難しいので、英語でのレクチャーは更に大変でした(汗)」

徐々に軌道にのってきたSAYOKOさん。当初の計画通り、1年で帰ろうとしていた頃、嬉しいことが!
「アメリカに『NAILS Magazine (ネイルズマガジン)』という専門誌があって、滞在中にそこで作品が紹介できたらベストだと思ってたんです。そしたら、帰国する直前に載ったんですよ!」

まぁ、なんということでしょう!
嬉しくてたまらなかったというSAYOKOさん。しかもカナダの大きなネイルのコンペに参加し、初出場で3位を果たす。いっそのこと、このまま残ろうかとも思ったが、結局帰国することに。

「現地のネイルサロンで働けた事と、憧れの雑誌に掲載された事で、海外に行った目標が達成できた事もありましたし、ネイル市場は日本の方が大きくて、技術も日本の方が色々と勉強できるので、しばらくは日本で活動していくことを決めたんです」

現在は作品をつくる一方、新宿でネイルスクールの講師や、ネイル製品メーカーのエデュケーターとしてセミナー開催など、講師業を行なっている。

――今後の目標を教えてください。
「アートの新しいジャンルとして『ネイルオブジェ』を確立させたいです!手にネイルオブジェが着いていたらパツと見てインパクトがあると思うので、具体的な目標としては、ケータイや家電、化粧品、食品など手元が映る広告のお仕事をすることと、レディー・ガガさんのようなミュージシャン、アーティストの方に向けて、曲や撮影のコンセプトに合わせたネイルオブジェをつくること。メンズネイルも得意なので、国内外、男女問わず様々なアーティストにコスチュームジュエリーとして着けてほしいです。さらに、ファッションデザイナーの方ともコラボしたいし、あのバッグネイルはぜひエルメスのPRに使って欲しいです!!作品制作中、気分だけはすっかりエルメスの鞄職人さんになっていたので。(笑) やってみたいことはまだまだ沢山ありますが…最終的な野望はアート作品としてヴェネツィア・ビエンナーレやMOMAに飾って欲しいです!!」

個人的には、ケリーのバッグもバーキンのバッグも、買えるようになっててほしいものだ。ひょっとして、もう買ったかもしれないけど。

●筆者自身、初めてお会いした瞬間から気になったこと

余談だが、取材当日、SAYOKOさんに初めてお会いした瞬間から、気になっていたことがあって、最後に聞いてみることにした。

――お会いした瞬間にビックリしたんですけど、背が高いですね!
「175cmあります」

ひょえ~~!
身長のことはかなりのプラスだったそうで、外国人の中に混ざっても、気落ちしないですんだという。
「実はスポーツは大の苦手で、バレーやバスケットなど、全くやってないのに背が伸びちゃいました」

「背が伸びちゃいました」だなんて、まるでタンポポの「恋をしちゃいました!」ぐらいのノリで言われてしまったが、なんだかうらやましい限りである。この先、「海外で作品展やっちゃいました!」とか「海外のブランドからオファーがきちゃいました!」みたいな感じのノリで、嬉しい報告が届く日も、遠い日の話ではないかも。(取材/文:やきそばかおる)


●SAYOKOさんのブログ
SAYOKO art lab.
http://sayokoart.exblog.jp/