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『バイオハザード ザ・ファイナル』を観て、別に人類は生き残らなくていいと思った話

2017年2月17日 21時20分
ライター・編集者の飯田一史さんと、『シン・ゴジラ論』を刊行したSF・文芸評論家の藤田直哉さんによる、話題の作品をランダムに取り上げて時評する文化放談。今回は映画『バイオハザード ザ・ファイナル』について語り合います。

良い意味でも悪い意味でも「ゲーム的」!



飯田 2002年スタートのミラ・ショヴォヴィッチの代表作である映画『バイオハザード』(原題はゲーム『バイオハザード』の英語タイトルである『RESIDENT EVIL』)シリーズの最終作ですね。
 アンブレラ社によってつくられた、感染するとゾンビになっちゃうTウィルスへの抗体を持つソルジャー・アリスが、冷凍睡眠しているアンブレラ社の幹部を除いて人類を滅亡させるという「ノアの方舟」さながらなシナリオを回避すべく、ゾンビを絶滅させる薬品を手に入れるためにアンブレラ社に潜入、前作では敵対していた人工知能「赤の女王」と協力しながら幹部を倒すことをめざす、と。

藤田 主演のミラ・ジョボヴィッチと、監督は夫婦。シリーズ全体の監督・プロデューサーとして同じ人間が関わり続けたというなかなか珍しいシリーズですね。
 ゲームの映画化作品としては、興業的にも内容的にも成功しているなかなか稀な作品です。内容が、映画として評価できるのかどうかという話は色々あるのですが…… ぼくはこういうの、好きですよ。
 「ゲームらしさ」はあって、仲間の集団が罠に嵌ったりして、次々と容赦なく感情移入もなくサクサク死んでいく感じは、ゲームプレイで操作キャラが罠に嵌る感じですね。「3」では、主人公のアリスのクローンが課題に何度もチャレンジする「ゲーム的リアリズム」っぽいものが書かれていました。他にも、FPSや、『PORTAL』など、「ゲームっぽさ」を画面のレベルや構成のレベルで映画にしていて、実に奇妙なんですよ。
 6でも、敵と戦うときに、行動予測がたくさん出てくるけど、あれなんかゲームのボス戦で死にながら試行錯誤している感じでした。

飯田 『アイアムアヒーロー』の映画版で、外ではゾンビが徘徊している状態で主人公がロッカーの中から脱出成功できるかを何回もシミュレーションするのを思い出した。ゾンビ映画つながりで言うと。
 僕は正直『バイオ』はゲームも映画もそれほど思い入れがありませんが、藤田くんはゾンビ評論家としていろいろ言いたいことがあるのでは。

藤田 映画の『バイオハザード』って、ゲームから設定借りてるけど、全然別物ですよ。ゲームはもっとじんわりしたホラーだけど、映画は派手なアクション映画で、超展開していく連載漫画みたいなテンション。
 ゾンビ映画としても、感染、サバイバル、集団の維持みたいな「ゾンビ・フォーマット」と呼ぶべき基本が全然描かれてない。描かれるのは「突入」と「脱出」、その繰り返しだけと言っていい。ほとんどゾンビ映画らしくない。ゲームの構造をそのまま模倣したような映画で、異様です。
 あと人間の生命は全体的に軽いw このシリーズはw PTAとかが貶す意味で使う「ゲーム的」という言葉の意味そのまんまの感じでしたね。

飯田 『ウォーキングデッド』以降お約束とも言える「ゾンビだってもともと人間だったのに、仲間や家族だったのに殺していいのか? ってところで悩む」がないよね。ゾンビも人間もバンバン殺すという……。
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コメント 1

  • ぽん 通報

    ゲームが上だと思います。 ナンバリングとリベレーションズは感染元を絶たせる設定はブレていませんし、VRに対応する1〜6&リベレーションズが販売するようになったら映画版は忘れ去られる様になると思います。

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