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映画『沈黙』はいい映画だけど、冷静に考えてみてほしいこと


飯田 スコセッシはもともと「受難の出来事を劇化したものが大好き」と言っています。
 カトリック的なモチーフや場所は、表向きそういう題材を扱った作品でないものにもたくさん出てきます。過去作で言えば『ミーン・ストリート』のオープニング・シーンと『ドアをノックするのは誰?』が終わるところはどっちも教会だし、『ラストワルツ』のときはスコセッシが「この歌にはカソリックのヴィジョンがあるから、そのように撮るべきだ」と言ったら撮影監督のマイケル・チャップマンが「違う。これはプロテスタントのストーリーだ。これはバプティストだよ、マーティ」と言ってゴスペル音楽の宗教的暗示について説明し始めたbyロビー・ロバートソン(『スコセッシはこうして映画をつくってきた』202p)みたいなエピソードにも事欠かない。『アリスの恋』でDVしまくるキレやすい(死んじゃう)旦那ですらメシ食うときは主にお祈りしてから食事するんだよね。『明日に処刑を…』なんて共産主義者のアジテーターが最後、列車に磔にされるし(「宗教は阿片」ってマルクスが言ってたのに!!! ただ『沈黙』以後なら、あの話も赤狩りとキリシタン弾圧を重ね合わせて観ることもできますね)
 そして今回の『沈黙』と。有名な話だけど遠藤周作は「神は沈黙してない」って思って書いたんだけど誤読されまくっているという。スコセッシは「沈黙してないよね」ってことを原作よりはるかにわかりやすく描いてましたね。終わり方を原作からは変えて。

藤田 めっちゃ神が話しかけてきますからねw
 真の信仰は、たとえ踏み絵をしたり、表面的に言葉や態度で示さないとしても、生きているものだ、たとえ外側から裏切り者に見えたり汚名を着せられたりしても…… という内容ですね。「転ぶ」、つまり、改宗するというのは、思想の世界で言えば「転向」に相当するのだけれど。キリシタンではないかと疑心暗鬼になりながら隠れて信仰を保つとか、スパイが出るとか、あの感じは、赤狩りの時期や、ファシズム期のドイツなども思わせます。
 思うとおりに信仰を貫くことができない時代に、意に沿わないことをしてでも、他者から謗りを受けても、真の信仰があるかもしれない、そういう存在について描いた映画ですね。ちょっと『ローグ・ワン』に似ているかも。

いい映画だけど、冷静に考えてみてほしいこともある


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飯田 『沈黙』は美談とか悲劇みたいになってるけど、たとえば進化論を否定するようなキリスト教ファンダメンタリストがこれを観て勇気をもらっちゃってもなあ……という気もします。20世紀よりもはるかに宗教の力が強まっている時代だから怖いとも言える。世俗化しながらもラディカルな部分は隠し持って生きるという話なので。

藤田 左翼が大企業の社長になって資本主義の中枢に行くような話でしょw まぁ、現実によくあることじゃないですか。

飯田 そんなゼンショーの社長みたいな話だったかなあ……w
 だいたい、日本でキリシタンや宣教師たちが弾圧されたのは、そもそも戦国時代の宣教師が日本人の子供の人身売買にめっちゃ関与していてインドや東南アジアに売り飛ばしまくっていてたり、「寺社仏閣を破壊したら救われる」とか吹聴してキリシタンたちが実行しまくって、それで秀吉も困っちゃってイエズス会と交渉したけど聞き入れなかったからだからね。異教徒のことを敵視したり、人間扱いしていなかったのは元々おめえらのほうだからっていう話なんですよ。それの延長に徳川幕府の取り締まりがあるわけで(詳しくは神田千里『戦国と宗教』岩波新書を参照)。

藤田 植民地主義の暴力の洒落にならなさの部分も描いて欲しいというのは、その通りですね。

飯田 「日本で奇形化した信仰ガー」とか言ってるけどそもそもルターとかカルヴァンにそういうところを突っ込まれたのが、腐敗していた時代のカトリック教会じゃないんですかとか普通に思いますよね。
 この話だと「日本は仏教の国だからキリスト教いらね」とかってことになってるけど、ちなみに秀吉に「バテレンなんとかしてくれ」ってお願いしたのは伊勢神宮ですからねw 寺じゃなくて神社!
 あとその仏教だって、日本でも受容するときは崇仏派の蘇我氏と廃仏派で古来から土地にいる神々を崇めるべきと考える物部氏で(実態はどっちの教えがすぐれているかとかそういう次元ではなく、むしろもっと世俗的・政治的な権力闘争レベルだったようですが)争っていたし、インドから中国、朝鮮、日本と伝播する過程でぜんぜん変わっている。飛鳥時代に百済から入ってきたときと鎌倉以降の大衆仏教でもぜんぜん違うしね。
 キリスト教だってキリスト自身の教えと直弟子とかパウロ以降ではもちろん変化してるし、日本以外にもラテンアメリカとかに入ったときだって現地の太陽神信仰と融合させたりとかして変わっている。宗教ってそうやって変化しながら伝播していくものだと思うので、「日本では教会の教えが根付かない。別物にされてしまう」というあの問いは類型的な日本特殊論に堕しすぎていてよくわからないといえばわからないし、逆に世界中どこでも起こっているという意味では普遍的であるとも言える。

藤田 日本が、キリスト教が「畸形」になる「沼」だというのはその通りだと思うんですが――「悪い場所」論や、中村光夫の私小説批判にも似た、外来の思想が日本化されてしまうという問題と通じていると思うんですが――その「畸形」をどう捉えるかですよね。そういう「雑種」性や「ハイブリッド」性、「サイボーグ」性を積極的に肯定する道もある。タランティーノの『キル・ビル』はそっち路線だったのと比較すると、「畸形」や「沼」に対する本作の態度がこれでいいのかは気になりますね。
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2017年2月18日 10時00分

コメント 10

  • 匿名さん 通報

    キリスト教ってのは本作や監督にとって重要な要素なのだから宗教の話をするのは一概に脱線とは言えないんじゃ。物語がいかに素晴らしいかを語る記事やブログは山程あるしこういう視点の記事があってもよいと思うが

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  • 匿名さん 通報

    それに飯田氏の>>映画『沈黙』、褒められすぎているというかググっても批判や否定がほとんど出てこないのがちょっとやばいのではと思って って発言が完全に意味不明。 何がヤバいの?(笑)

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  • 匿名さん 通報

    沈黙っていう作品は読んでみたところ、キリスト教の教えについてというよりも「生きる」とか何かっていうことを問いかけてる本であると思った。

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  • 匿名さん 通報

    続き・・・でもこの記事は「沈黙」について語っている記事では全く無くてキリスト教は是か非か、当時のキリスト教の迫害について描けよとかかなり脱線してる。

    5
  • 匿名さん 通報

    もっと批判が出てこないとヤバイってのは同意。 世界的に見ればキリスト教や欧米世界が異常で特殊な世界なのに そっちの思想が世界に発信されてるせいで、マイナーな方が大勢と誤解する弊害。

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