フランスのJポップカルチャーTV局が終了 悲しみの声が広がる

フランスのギークたちに衝撃が走った。テレビゲーム・漫画・アニメおよび日本のポップカルチャーに特化したチャンネル「Nolife(ノーライフ)」が、4月8日の放送をもって閉局すると発表したからだ。


理由は資金繰りの行き詰まり。仏ルモンド紙によると、特に2014年から2015年以降、フランス経済の悪化もありノーライフは多くの広告を失ったという。それらがノーライフの財政を直撃した。

ファンにとって笑えないエイプリルフール


ノーライフの社長セバスチャン・ルシェ氏は、4月1日夜に「おそらく、もっとも笑えないエイプリルフールかもしれない。しかし真実だ。ノーライフの挑戦は終わった」と同局ウェブサイトに上げられた映像で今回の説明を始めた。「法的な清算手続きは開始した」と、同局が存続できなかったことを、映像を通じて視聴者に説明した。


映像においてルシェ氏は「11年間、私たちは格闘してきたし、あきらめたことはない」と述べつつ「しかしチャンネルは心もとない状態で、再び軌道に乗せるための投資家やパートナーを探さなければならなかった。確かな方策および進歩的な議論はあったが、残念ながら、そして私たちの損害においては、何も実現できなかった」と苦渋の決断だったことを伝えた。
フランスのJポップカルチャーTV局が終了 悲しみの声が広がる
今回の事情について説明するルシェ氏(ノーライフの映像からのスクリーンショット)


フランスのギークの期待を背負ったテレビ局


ノーライフとは、2007年6月1日に開局した独立放送局で、フランスのテレビゲームオタクにとっては「好きなもの」が詰まったテレビ局だった。今月で閉局するまで11年間に渡り、フランスのギーク・メディアのけん引役となってきた。パリで開かれるジャパンエキスポや、フランスの地方で開かれるゲーム・漫画・アニメおよび日本のポップカルチャーを混ぜたようなイベントでも、常にノーライフは取材に来ており、結果的にフランスにおいて日本文化を紹介する窓口的な役割も担っていた。
フランスのJポップカルチャーTV局が終了 悲しみの声が広がる

今回の件を伝えたフランス国内各メディアの中でも、特にルモンド紙はノーライフについて細かく事情を説明しつつ、「小規模独立放送局が11年間も存続できたのは勝利である」と功績をたたえている。

ルモンド紙は「ノーライフはギークの夢を現実にした。
開局当時、テレビゲーム、ロールプレイング、漫画、日本の音楽は、ほとんどテレビで見ることができなかった。インターネットも同じく、そのような内容を見つけることは難しかった。YouTubeはこの2年ほどで、今日のようなコンテンツはなかった」と、ノーライフが当時、フランスのギークの需要を一身に背負って登場したことを説明した。

一方で「情熱を持って番組を作ったとしても、新しい世代は、テレビよりもインターネットにより関心が向く」と、同紙はYouTubeに代表される近年の映像メディアの状況変化を説く。ルシェ氏も「視聴者にとって、今は選択肢がとても広い」と語った。


惜しむ関係者、著名人、ファンの声


ノーライフの発表には同業界の各方面からTwitterなどで惜しむ声が寄せられた。


ノーライフに出演していた司会者マーカス・ラコンブさんは「エイプリルフールであれば良いのに」と心情を述べ、同じく司会者のフレデリック・オスタンさんは「ノーライフの終了は素晴らしい挑戦の終わりである。とても心が揺さぶられたと同時に、10年に渡り参加できたことを誇りに思う」とコメントした。

テレビゲームアナリストのジュリアン・シェーズさんは「ノーライフと数年間オフィスをシェアしてきて、独自で敢然なプロジェクトにおける彼らの情熱とやる気に、いつも刺激を受けてきた」とノーライフのこれまでの道のりをたたえた。Jポップに特化したフランス最初のインターネットラジオ局「ジャパンエフエム」の経営者アントワン・マリオンさんは「11年を経た努力、笑顔、真剣さ、幸せ……今日はそれらが私の中になだれ込む悲しい放送だ」と悲しさをつづった。

視聴者からも「とても耐え難く、とても寂しい。すべての素晴らしい番組と最高のスタッフは永久に私の心に残るだろう」「ノーライフはポッドキャスト、実況プレイなど多くのウェブの扉を開き、最後はウェブに殺された」と感想が集まっている。

フランスのJポップカルチャーTV局が終了 悲しみの声が広がる
ノーライフ最終放送時の画面のスクリーンショット

ノーライフのファンの一人であり、各種ゲームイベントでも日仏通訳および司会者としてノーライフと仕事をすることが多かったノエラ・ボニエさんは「この局のオリジナリティが好きだった。大手と違い家族的でフレンドリー。テレビでJポップのミュージックビデオを見られたことが画期的で、そこから多くの日本のバンドやアーティストを知った」とノーライフが与えた影響力を語る。

ノーライフは、伝統文化だけでない最新の日本事情について渇望するフランス人たちの受け皿になっていた。今回の出来事は、大局的に見ればテレビからインターネットを始めとした選択肢の多極化へのシフトであるとともに、局地的にはフランスにおける日本ポップカルチャー事情において、一つの時代が終わったと言えそうだ。
(加藤亨延)