禅は欧米でもっとも知られている仏教の考えの一つだ。アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズは禅の愛好家として知られていたし、フランスでも「Zen(禅)」は「静かにする/落ち着く」といった意味のフランス語として使われている。
禅を海外で教えるということはどのようなことなのか。京都妙心寺退蔵院の副住職で、世界での講演も多い禅僧、松山大耕さんにお話をうかがった。

「禅の場合、『座る』という実践・経験・直感が大事です。ゆえに日本人であろうが海外の人であろうが、バックグラウンドを必要としないという点で、他の宗派より海外で広く受け入れられやすい理由だと思います。日本でも小学生を相手に坐禅指導をすることが多々ありますが、その『分かりやすく伝える』経験も海外で役立っています」

キリスト教の教えに根付いた欧州では、文化的土壌が違うために人々の理解が難い場合も多いだろう。そこはどのように対応しているのか。


「もちろん欧州はキリスト教文化が背景にあるので、相違点も説明しながら仏教の教えを説きます。例えば、キリスト教は一神教であり全能の神が世界を創りました。すべては神が創ったものであるから、敵であってもそれを愛しなさいという考えです。一方で仏教は唯一神を信じません。仏教ではすべてのものは相対的に存在すると考えます」

「たとえば、室温が20度だとします。0度の屋外から部屋に入ると20度だから暖かい。
しかし外気温が30度だったら、20度の部屋は涼しいです。同じ20度なのに捉え方が違います。0度があるから20度の『暖かさ』があり、30度があるから20度の『涼しさ』がある。見方によって定義が異なるということは、実態がないのと同じです。しかし『20度』というものがないのかといったら、そこにはある。すべては単独では存在できないゆえに、他の人たちにも慈悲の心を持ちましょうというのが仏教の考え方です」

松山さんは海外での活動を通じて、各国の宗教関係者と意見交換をしてきた。
そこで確信した1つの答えがあるという。

「以前お会いしたルクセンブルクの大司教は、これからはキリスト教だとか、イスラム教だとか、仏教だとか、そんなことは重要ではなくなるとおっしゃっていました。私利私欲のためではなくて、宗教心に基づいて他人や社会のためにやっているのかどうかという視点が重要になってくる。もちろん私は禅僧なので、禅の良さを広めていきますけど、それがすべてではない。1つの枠にとらわれることなく、大事なことを見いだす普遍性こそが大事だと思います」

ナポレオンは、「宗教なき社会は羅針盤のない船のようなものである」と言った。晴れて凪いでいる時は必要性を感じないが、嵐の時にそれは必要になることもある。
主だった伝統的な宗教というものは、アプローチは異なるが結果は大体同じようなことを目指しているという。それは仏教の「慈悲」であり、キリスト教の「愛」に当たるそうだ。さまざまな道がありつつも頂上は一緒なのだ。
(加藤亨延)