稲川素子事務所をご存知でしょうか? 一言で言えば、「外国人タレントの総合商社」とでも形容すべき芸能プロダクションです。
現在所属しているタレントの人数は、なんと5,000人以上。
『奇跡体験!アンビリバボー』や『ザ!世界仰天ニュース』の再現VTRに出てくる外国人は、大体ここの所属。かつてはセイン・カミュやゾマホンなども在籍していました。

そんな稲川素子事務所に籍を置くのが、本稿で紹介するルビー・モレノ。彼女もかつては一世を風靡した外タレとして、世に知られた存在でした。

“ジャパゆきさん”として来日したルビー・モレノ


80年代前半における流行語の一つに、“ジャパゆきさん”という言葉があります。これは戦前、九州から東南アジアへ娼婦になるために渡航していった日本人女性“からゆきさん”をモジってつくられた造語。
70年代後半。
当時経済発展著しかった日本へは、出稼ぎにやってくる東南アジア人女性が多く、彼女たちを指してこう呼んでいたのです。

ルビー・モレノも、そんな“ジャパゆきさん”の一人でした。彼女が母国フィリピンから日本にやってきたのは1983年。当時18歳で、ホステスとして働き始めます。23歳のときには日本人男性と結婚。子宝にも恵まれ、長女・リズちゃんを出産します。


ブルーリボン最優秀主演女優賞を獲得


転機が訪れたのは1992年。映画『あふれる熱い涙』で新人ながらヒロイン役に抜擢されたのです。心に傷を負ったフィリピン人妻役を熱演し、高評価を獲得。
同年には、フジテレビ系のドラマ『愛という名のもとに』にも出演。ここでは脇役ながらも、物語終盤のキーパーソンともいうべきポジションで躍動。作品自体が平均視聴率 24.7%というヒット作となったため、全国的に名前が知られるようになります。

極め付けが、1993年の映画『月はどっちに出ている』での主演起用。
本作は、在日コリアンや日本の裏社会を扱った密度の高いヒューマンドラマだったのですが、そこでも抜群の存在感を発揮。外国人ながらブルーリボン最優秀主演女優賞を含む、日本国内の主演女優賞を総なめにするという快挙を達成します。この時28歳。彼女の人生において、もっとも得意な時期だったに違いありません。

1,000万円以上の負債! 借金取りから追われるハメに


女優挑戦わずか2年足らずで、名声を欲しいままにしたモレノ。突如スターになったこの謎多き外国人を、マスコミが放っておくはずありません。実はこれまで元ホステス・結婚歴あり・子持ちなどの事実は伏せられていたのですが、それらの秘密が一部週刊誌の報道により、次々と暴かれていったのです。


またメディアは、彼女の素行の悪さにもフォーカスしました。酷かったのが金遣い。値札を見ずに洋服を買い漁り、港区内で年に何度も引越しをし、フィリピンに思いつきで家を建てたりと、常軌を逸した散財を繰り返したとのこと。借金の額は1,000万円以上。稲川素子事務所には連日、借金取りが押しかけたといいます。

ドラマをドタキャン…干されたルビー・モレノ


その後、自ら直訴したヘアヌード写真集の売り上げにより、借金を完済したモレノは、もう一度やり直すため、女優としての仕事を事務所に懇願します。
この申し入れを受け、稲川社長はドラマの監督に直接交渉。なんとか彼女の役を設けてもらうことに成功します。
しかし、モレノは衣装合わせの予定を当日キャンセル。そのままフィリピンへ帰国してしまったのです。当然ながら監督は激怒。せっかく貰った役を降ろされるだけでなく、“ドタキャン女優”の評判が広がったことにより、芸能界を干されてしまいます。


後年彼女が告白したところによると、フィリピンへ突然帰国したのは、母国に預けた重度の障害をもつ愛娘・リズちゃんに会いにいくためだったのだとか。そのリズちゃんもほどなくして亡くなり、紆余曲折経て、今も女優活動をひっそりと続けているルビー・モレノ。
2000年に日本人商社マンと4度目の結婚をし、現在は東京の下町に居を構え、週2回ペースで身寄りのない子どもたちへ演技や歌などを教えているといいます。御年51歳。波乱の半世紀を生きたお騒がせ女優も、ようやく穏やかな生活を手に入れたようです。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりあふれる熱い涙 [レンタル落ち]