連日、メディアを賑わす横綱・日馬富士の暴行問題。
ついに電撃引退が決まったが、鳥取県警の捜査や日本相撲協会の調査は継続中。
騒動はまだまだ続きそうな気配だ。

思えば7年前、横綱・朝青龍も泥酔して一般男性を殴打した責任を取っての引退だった。
日馬富士は引退会見で「今までお酒を飲んで事件を起こしたことはない。お酒を飲んだからの事件じゃない」と語気を強めたが、真相やいかに……?

日馬富士の件はさておき、力士と酒のトラブルで真っ先に思い出したのが、酒グセの悪さ“最凶”の伝説の男。プロレス界にも飛び込んで来た南海龍のことである。

ひと晩でビール100本! 南海龍の伝説


南海龍は、珍しい西サモア(現・サモア独立国)出身の力士。
84年9月に初土俵を踏み、87年5月に十両昇進、同年11月には新入幕を果たすスピード出世で、将来を大いに期待された逸材だった。

それを裏付けるのが、188cm、150kgの恵まれたフィジカル。千代の富士のような筋肉質の体型をひと回り大きくした感じである。

しかし、持ち前の南国気質が災いしたか、酒ばかり飲んで練習をしないのだから困ったもの。
しかも、その場の酒を全部飲み干さないと気がすまないほどの無類の酒好き。「ひと晩にビール100本」の伝説があるほどである。
泥酔してホテルのボーイを殴るなど、酒にまつわるトラブルが多く、時には兄弟子の小錦が張り倒して失神させて場を収めることもあったという。


相撲より酒を選んで大相撲を廃業に……


決定的だったのが、88年9月、飲み過ぎの二日酔いから休場してしまうという大失態だ。
業を煮やした師匠の高砂親方から、「酒と相撲、どちらを取るのか」と決断を迫られるが、南海龍はまさかの「酒」を選択。「酒は絶対にやめられない」と答え、サモアに帰国してしまう。結局、そのまま廃業の措置を取られてしまうのであった。

ちなみに、高砂親方は心労がたたったのか、南海龍の廃業後間もなく脳溢血で倒れ緊急入院。意識が戻ることないままに58歳で急死している。

廃業後、プロレス入門した南海龍


相撲の道をあっさり諦めた南海龍だったが、その後、新日本プロレスに入門。
90年9月、藤波辰爾が新日内組織として立ち揚げた「ドラゴン・ボンバーズ」所属選手となっている。

藤波が南海龍の兄弟子だった小錦と懇意にしていたことから、練習生として面倒を見ることになったのだ。

酒のトラブルから大相撲を廃業したとはいえ、格闘技の世界では逸材であることに間違いない。新天地でも大きな期待が寄せられたのだが、やはり酒グセの悪さが解消することはなく、警察沙汰になることもしばしばだった。
藤波も幾度となく酒をやめるよう進言したようだが……。

泥酔状態の南海龍がバイクを投げて車を破壊した!?


事件が起こったのは、いよいよビッグマッチでお披露目となる一週間前だった。深夜、泥酔状態の南海龍がノーヘルで乗っていたバイクを車に投げつけて破壊してしまったのだ。


この一文だけで、ツッコミどころが多すぎるが、当然、警察の御用に。
さすがに新日本プロレスもかばいきれず、南海龍は練習生のままクビになってしまうのであった……。

ちなみに、「ドラゴン・ボンバーズ」は大相撲の部屋別制度にならった構想だったが、軌道に乗らないままに消滅。南海龍のトラブルも尾を引いたのだろうか……。



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