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薩摩藩士・小松帯刀と赤神山の狐

2011年12月26日 18時30分 (2011年12月27日 17時44分 更新)

 幕末の頃。薩摩藩家老・小松帯刀(1835~1870)は、江戸藩邸において、朝廷の公卿と幕府閣僚との交渉を担う職に就いていた。後に京都で朝莫諸藩の間を行き来するうち、倒幕運動や大政奉還に尽力するようになった。そのため、京都では幕吏の追っ手に追われるようになってしまった。身の危険を感じた帯刀は、京都から逃れ滋賀県東近江市中野町東沖野ヶ原辺りに粗末な庵を結び、隠遁生活をするようになった。

 ある時、帯刀は赤神山(東近江市小脇町)の中腹にある阿賀神社に参拝に出掛けた。その帰り道のこと。日も暮れ、月の明かりを頼りに帰り道をブラリブラリと東沖野ヶ原の隠れ家に向って歩いていた所、野原の草むらに罠にかかった狐がもがいているのを発見した。東沖野ヶ原には人を騙す悪い狐が棲んでいるという噂があったので、村人が狐の罠を仕掛けていたのだ。しかし帯刀は哀れに思って、罠を解いて狐を逃がしてやった。

 数日後、帯刀の隠れ家に若い娘が訪れた。娘は旅の途中で道に迷い、日も暮れてしまったので、一夜の宿を貸して欲しいと頼み込んだ。帯刀の隠れ家は手狭で寝る場所もなく、しかも男所帯だったので断った。しかし娘は土間の片隅でも良いから泊めて欲しいと、泣きそうになって頼み込んでくる。さすがの帯刀も気の毒に思い、娘を泊めることにした。しかしこの家には煎餅布団が一組しかないので、帯刀は娘に布団を譲り、自分は軒下で眠ることにした。翌日、帯刀が目覚めると娘の姿は無く、布団の上に阿賀神社の護符が置いてあった。

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