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ヤマト建国にかかわる二つの日本海勢力とは? 山陰地方の意外な地理

2017年3月21日 12時00分 (2017年3月22日 11時08分 更新)
常に新たな視点を持ち、従来の研究では取り扱われなかった古代史の謎に取り組み続けてきた歴史作家・関裕二が贈る、『地形で読み解く古代史』絶賛発売中。釈然としない解釈も、その地にたてば、地形が自ずと答えてくれる!? 「ヤマト建国は地形で解ける」をシリーズで紹介いたします。山陰地方の数少ない平野の一つ出雲

 日田盆地という地勢上のアキレス腱を抱えた北部九州勢力は、テリトリー内にある関門海峡を利用すれば、ヤマトを封鎖できると考えただろう。そして事実、ヤマトと周辺は、干上がった。北部九州の目論み通り、鉄の過疎地帯になったのである。
 ならば、ここからどうなるとヤマト建国につながっていくのだろう。なぜ、鉄器の過疎地帯に忽然と人々が集まりはじめたのだろう。「この指とまれ」をするように、一気に集まった理由はどこにあったのか。そのきっかけは何か。誰が仕掛けたのか。そしてなぜ、北部九州は出遅れたのか。この謎を、地理から解くことは可能だろうか……。
 そこで今度は、日本海と山陰地方に注目してみよう。日本は稲作の文化を継承していると漠然と信じられているが、水田に適した土地は、それほど多いわけではない。近世や近代に至り、治水事業が進み、水田地帯も増えていったが、山がちで、平原があったとしても、見渡す限りの湿地帯ということが多かった。
 だから、畑を耕し、アワなどの雑穀栽培も盛んに行われていたのだ。稲作だけが、古代人の生業ではなかった。

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