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「天孫降臨」の地“日向”は、本当は何処なのか?

2017年10月8日 18時00分 (2017年10月14日 17時48分 更新)
高千穂の宮にいたイワレビコは、天下を治める最良の地を目指して東征を思い立つ。兄とともに東の地を目指した旅路は決して平穏なものではなかった……。『古事記』『日本書紀』に描かれた”神武東征”伝承は史実なのか? 神話と史実を探求しながら、その実像に迫る。
『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」「日向=宮崎」説を覆す
「日向=北九州」説

 神武東征伝承が疑問とみられる理由として、まず出発地「日向」にある。
 葦原中国の大己貴神に国譲りをさせて天孫が降臨した地が、僻遠の南九州の「日向」、宮崎県とされる。その後の天皇家とまるで縁のない地で三代(日向三代)を過ごしてから、大和入りを図るという筋書が荒唐無稽で、これにより神武東征の史実性は根底から崩れているとされる。

「日向」とは、もともと南九州全域を指し、後に薩摩・大隅の文理で日向一国となるが、異民族的な色彩の隼人が住む未開地であった。これが皇室の現実の発祥の地でありえたかは疑問が大きい。
 記紀の編者が「日向」を日神の子孫と称する皇室の先祖が住む土地にふさわしいとみて、天孫降臨させた結果、日向と大和を結びつける必要性のために、「神武東征」は日神思想による観念から生まれたもので、歴史的事実ではない」とみられることになってしまったのだ。

 この「日向=宮崎」説には最近まで多くの疑問が出されてきた。実際の「日向」は北九州で、福岡県の玄界灘沿岸にあったとの見解が多い。

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