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東芝を潰した男・西田厚聰氏が逝去…中途採用から最高権力者へ、豪腕経営者の功罪

2017年12月12日 19時20分 (2017年12月14日 00時49分 更新)

 東芝の社長・会長を務めた西田厚聰氏が12月8日午後11時53分、急性心筋梗塞のため東京都内の病院で死去した。73歳だった。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は長男・啓氏。

 西田氏は異色な経歴の持ち主だ。1943年12月29日、三重県に生まれた。「一番でなければ気が済まない」性格で、猛勉強して東京大学や京都大学などのトップ校を目指したが失敗。浪人して早稲田大学第一政治経済学部に入学。卒業後、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程に進んだ。大学院では丸山真男福田歓一に師事しながら、西洋政治思想史を研究した。

 政治史の研究で来日したイラン出身の女性を見初めて学生結婚し、イランに渡った。学問の世界から足を洗ったことについて、多弁な西田氏は口を閉ざしている。周囲は、「東大の卒業生でないため東大教授になれないことがわかったからだろう」と見ている。

 イランでは、東京芝浦電気(現東芝)と現地法人の合弁会社に就職した。そこで才能を見込まれ1975年5月、東芝に入社した。時に31歳。青年期を過ぎての中途採用組だ。ここから社長にまで昇り詰めたのだから超異端児である。

 東芝に入った西田氏は、欧米の販売会社を13年間渡り歩いた。二番になるのが大嫌いなため、パソコン事業を興し、世界初のノートパソコン「ダイナブック」を欧米で売りまくった。米国のノートパソコン市場で一時、シェアトップになったこともある。

“お公家集団”と揶揄された東芝では、西田氏のアクと押しの強さは際立った。

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