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御巣鷹山・日航機墜落から33年…今明かす、私が事故直後の現場で見た真実

2018年8月12日 16時59分

 写真週刊誌の草分け「FOCUS(フォーカス)」(新潮社)。その創刊時から活躍した伝説のカメラマン、小平尚典が今、いち早く現場を取材しスクープとなった群馬県・御巣鷹山での日航機墜落事故の全貌を明らかにした。その真実とは――。

●1985年8月12日、18時56分頃

 日本航空123便墜落事故の第一報を耳にしたのは1985年8月12日、仕事も終わり愛車のボルボ245GLEで帰路に向かう途中だった。家に帰ったら1歳になったばかりの娘とお風呂でも入ろうかと考えていたさなか、当時としてはまだ珍しいショルダー携帯電話が突然鳴り出し、航空機が行方不明であることが同僚のカメラマンから告げられた。そして慌ててNHKのラジオ番組を聞くと、「羽田発伊丹行きのJAL123便が18時56分頃、静岡上空で消息を絶っている模様――」と何度も同じ情報が繰り返されていた。

 私はその足で新潮社に向かった。ラジオでは断片的な情報をつないで、「長野県、群馬県境の上野村、三国峠、南相木村当たりの山中に落ちた、米軍機から横田基地を通じて報告があり、捜査を開始したもよう」と報じていた。南相木村は取材で何度も行っていたので、土地勘があった。そこで私の車を使い、私とフォーカスの記者の2人で南相木に向かうことになった。

 東京を出発したのは午後8時半、南相木村の目的地に着いたのは深夜0時を過ぎていた。車で村に近づくにつれ、警察車両や消防団が目に入ってきたが、さらに進んでいくと警察官に小学校の校庭に誘導された。

注: この記事は配信日から2週間以上経過した記事です。記事内容が現在の状況と異なる場合もありますのでご了承ください。

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