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北前船で栄えた湊町のまち並みを守りたい。 公民学で取り組む「三国町」の空き家再生まちづくり

2017年10月5日 11時05分 (2017年10月12日 10時55分 更新)

明治時代、鉄道が至らずまちは衰退へ


訪れた坂井市三国町は、福井駅から第三セクターのえちぜん鉄道で約50分。世帯数は約7500、細い路地に沿い、年月を経た格子窓の日本家屋が建ち並ぶ静かな港町だ。とはいえ、その街並みには豪商の面影が残る大きな商家やレンガづくりの旧銀行の建物なども点在しており、昔の豊かさや賑わいが伝わってくる。
東洋文化研究者のアレックス・カーさん監修のもと、築百数十年超の町家をゲストハウスに改修したまち、といえば思い当たる方もいるのではないだろうか。

三国町は古代から海運・水運によって栄え、江戸時代から明治時代にかけては北前船(買積み北国廻船)の寄港地として、やはり大河河口に位置する酒田や新潟と並んで繁栄していたという。ところが、明治時代に入って運輸の主役が鉄道にとって代わったことが、逆風になる。
「明治30年代に北陸本線建設の際、三国は当初の予定と異なり経路から外れ、それまでの繁栄に終止符が打たれます。また、昭和後期に国内各地の地方都市が衰退が叫ばれ始めたころ、三国町も人口減少や空き家の増加が顕著になっていました」と、地元のまちづくり組織「三國會所」の理事長、大和久米登さんは話す。



住民主体のまちづくり組織「三國會所」が活動開始


2000年、歴史・文化やまち並みを生かして三国町を再生しようと、商工会と観光協会が中心となり「三國歴史を生かすまちづくり推進協議会」が発足。この組織は名称や役割を少しずつ変えながら活動を続け、2012年に法人化されまちづくり組織「三國會所」として確立した。

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