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アーケード全壊の震災から、住民主体で復興を遂げたえんま通り商店街

2017年10月5日 07時32分 (2017年10月26日 06時44分 更新)

マグニチュード6.8。そんな地震が自分の街を襲ったら、どうやって復興するかイメージできますか?2007年、実際に被災し、住民主体で街の復興に挑んだ街があります。それが、新潟県柏崎市えんま通り商店街。震災から10年の節目に、当時の「えんま通り復興協議会」理事長だった中村康夫さんに、復興に関する取り組みを伺ってきました。

歴史ある商店街が、一瞬で被災地に

震災が直撃したのは、海に面した新潟県柏崎市の中心街に位置する「えんま通り商店街」。年に一度ここで開催される「えんま市」は500以上の露店が並び、延べ20万人もの来場者数を誇る、人気イベントです。

【図1】えんま市の様子(写真提供/えんま通り復興協議会)

この地をマグニチュード6.8の地震が襲ったのは、2007年7月16日午前10時13分。
商店街の道路に沿うように地震の亀裂は走り、道路南側の下町エリアは7割以上の建物が倒壊もしくは全壊の判定を受け、商店街をつなぐアーケードも崩壊してしまいました。

中村さんは創業140年になる呉服店「紺太」を営んでおり、当時は鉄筋コンクリート5階建てのビルに呉服店や飲食店、紳士服、婦人服、化粧品、寝具なども扱うデパートのような形態で経営していたそうです。

しかし地震により下町エリアにあった同店舗は大規模半壊。柱は折れた鉄骨がむき出しになり、中はぐちゃぐちゃ。営業ができない状態になってしまいました。
「店の再建はもちろんですが、そのころえんま通り商店街の理事長を務めていたこともあって、私が復興のための組織をとりまとめることになりました」

【図2】復興協議会の代表を務めた中村康夫さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)

【図3】震災発生当時の被害の様子 (写真提供/えんま通り復興協議会)

「言葉を優先したビジョンづくり」が復興のカギになる

しかしながら、中村さんをはじめ誰も震災復興なんて手がけたことはありません。

注: この記事は配信日から2週間以上経過した記事です。記事内容が現在の状況と異なる場合もありますのでご了承ください。

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