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村野藤吾「宇部市渡辺翁記念会館」開館80周年事業の成果と意義

2017年10月13日 11時00分 (2017年10月21日 10時55分 更新)

村野建築の中で村野建築を俯瞰する模型展


建築家・村野藤吾が遺した優美な空間に身を置きながら、模型の数々を通して村野建築を俯瞰する……。山口県宇部市で開かれた「渡辺翁記念会館開館80周年記念事業」における一コマだ。

宇部市のシンボル「渡辺翁記念会館」は村野の戦前の代表作で、国の重要文化財に指定されている。
1937年(昭和12年)の竣工から80年を迎えた今年、地元の有志によって模型展をはじめとする記念事業が企画された。村野はこの記念会館の建設をきっかけに宇部市と深い関係を結び、市内には今も7作品が残る。

記念事業のテーマは、宇部の歴史を刻む村野建築をいかにして未来に手渡すか、というものだった。



常に「造り手」と「受け手」の中間にいた建築家


9月16日に開催された記念講演には、記念会館竣工の年に生まれ、晩年の村野をよく知る建築評論家・長谷川堯氏が登壇。村野建築の特質について語った。特に、「村野の没後に気付いたことだが」と断りながら述べた次の内容が印象的だった。

「モダニストたちは新しい建築を都市や田園に据える行為を“創造”と捉えていたが、村野は地球環境の秩序を損なう行為ではないか、という“原罪”意識を抱えていたと思う。だからこそ、いかに建築をその場に調和させるかを一生懸命に考えたはずだ」

スライドを示しながら長谷川氏は、村野は常に「造り手」(施主)と、「受け手」(住む人・使う人・見る人など)の中間に身を置いていた、と語った。



建築が残るためには「受け手」が育たなければならない


京都工芸繊維大学教授の松隈洋氏による基調講演は、村野と宇部の関係を念頭に置きながら、広く近代建築の評価・保存を巡る現状と課題を伝えるものだった。

注: この記事は配信日から2週間以上経過した記事です。記事内容が現在の状況と異なる場合もありますのでご了承ください。

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