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【立川】飛行場と米軍基地で栄えた歴史は今も街の遺伝子か? 

2017年11月20日 11時05分 (2017年11月27日 10時55分 更新)

飛行場建設を契機に発展が始まった


立川は近年、駅ビルのルミネ、グランデュオ、北口に伊勢丹、高島屋、そして多くのタワーマンションなどにより、都心並みの賑わいを見せている。
しかし再開発が進む前、30年以上前までは、まだ「基地の街」のイメージが強かった。私は1977年に東京に来て、国立市の大学に入ったが、米軍のベトナム撤退が73年、ベトナム戦争の終結が75年、立川基地からの米軍撤退が77年だから、立川の街はまだ完全に「基地の街」として認識されていた。

古代、中世、江戸と、地域の拠点としての歴史を持つ府中、八王子、青梅などと比べると、立川にはあまり長い歴史はない。多摩川に面した現在の柴崎1丁目あたりが立川村(旧・柴崎村)の中心で、そこから立川駅あたりまでが耕地。その北と東は山林だったという。
駅北は旧・砂川村であり、江戸時代の新田開発でできた村である。だが地下水に乏しく、農業には適さない。そのため、長い努力の末、養蚕によって豊かな村を築き上げた。

今回の取材では、まずこの砂川村のあたりを歩いてみたが、立派な庭を持つ農家をしばしば見かけた。立川にもこんな農村風景があるのかと驚いた。多摩都市モノレール砂川七番駅近くには登録有形文化財の「中野家住宅」がある。中野家は代々「きぬや」と称し、絹を生産していた。
立川通り沿いにも、豪農らしい農家の屋敷を活用したチェーンの寿司屋もあった。説明の看板を読むとこれも中野家の屋敷だという。

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