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淀川資料館で三栖洗堰(みすあらいぜき)、三栖閘門(みすこうもん)について聞いてきた

2018年3月7日 11時06分 (2018年3月14日 10時55分 更新)

大阪になくてはならない淀川


大阪は水運により発展したまちだ。
中心地を流れるのは淀川水系の河川で、さまざまな物資が随時京都に運ばれていた。淀川は、滋賀県、京都府、三重県、奈良県、大阪府、兵庫県の2府4県に広がる、流域面積8240kmの一級河川で、琵琶湖から流出する瀬田川が京都に入って宇治川となり、大阪府に入る直前の八幡市で、木津川や桂川と合流して淀川となっている。

古来、淀川は水運を栄えさせ、幾度も改修工事や築堤が行われてきた。もっとも古い記録は、なんと仁徳天皇の御代(4世紀)までさかのぼる。淀川の洪水を防ぐために堤を築こうとしたが、どうしても2カ所が破れてしまう。そこで、人身御供を2人出そうとしたが、そのうち一人の茨田連衫子は川の神に挑戦して勝ったため、死ななくて済んだという記事が日本書紀にある。

文禄年間には、豊臣秀吉が枚方から長柄まで連続する文禄堤を築造。大阪平野を氾濫から守るだけでなく、堤上は伏見城と大阪城をつなぐ街道としても機能した。濠川が宇治川に注ぐ位置には伏見港が設けられ、大阪と伏見を行き来する三十石船がたくさんの人を運んだという。

江戸時代になると、主な街道の要所に宿場町が整備される。中でも伏見と大阪の中心にある枚方宿は旅籠も多く、多くの人が集まる歓楽街となった。三十石船に乗った旅人に酒や食べ物を商い、「酒くらわんか、飯くらわんか」と大声で客を引く、たくさんの「くらわんか船」も淀川上に浮かび、賑わっていたそうだ。

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