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50年経っても、なぜ霞が関ビルは存在しているのか

2018年4月25日 08時23分

50年間、建て替えなかったワケは?

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 1968年に建設され、日本の高層ビルに大きな影響を与えた建物がある。「霞が関ビルディング」だ。

 「な、なんだよ、いきなり大げさな。高層ビルといえば、『あべのハルカス』や『横浜ランドマークタワー』でしょ」と思われたかもしれないが、冒頭の言葉は仰々しくもなく、誇大表現でもない。

 当時、日本最速のエレベーターの速さは分速150メートルだったのに対し、霞が関ビルは倍の分速300メートルを実現したり、建物の部材をあらかじめ工場で製作し、建築現場で組み立てるプレハブ工法を導入したり、日本初の建築技術はこのほかにもたくさんある。また、敷地内に広場があったり、建物内に郵便局などの施設が入っていたり、壁面にウインドウアートを映し出したり。いまの高層ビルでは当たり前のように存在しているモノが、霞が関ビルで初めて取り入れられたのだ。

 最上階に展望台をオープンしたところ、多い日には1日に2万1000人が来場。修学旅行先としても人気を集めたほか、日本一高い場所として結婚式も挙げられた。ちょっとしたブームを巻き起こしていたなかで、「霞が関ビル○個分」といった表現もよく使われた。大きさなどを示すときに「東京ドーム○個分」といった話を聞いたことがあると思うが、東京ドームが誕生する前は、約52万平方メートルあるビルを用いて、「霞が関ビル○個分」といった表現が使われていたのだ。

 さて、ここまで書いてきて、疑問がひとつ。

注: この記事は配信日から2週間以上経過した記事です。記事内容が現在の状況と異なる場合もありますのでご了承ください。

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