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1位ゼンショー、2位すかいらーく。外食チェーン「国盗り物語」最新勢力図 #1

2017年9月14日 11時00分 (2017年9月15日 17時41分 更新)

生まれては消え、合従連衡を繰り返し、勝者のみが巨大化していく外食チェーン業界。なぜこんな“戦国時代”に突入したのか? 子どものころからこうした飲食店によく足を運んでいたというライターの村瀬秀信氏が、現在の勢力図を描く(文中敬称略)。
出典:「文藝春秋」2017年9月号(全2回)


 連日続く夏の湿っぽい暑さにどうしても耐え切れず、まだ日も明るいうちに、上野駅近くの居酒屋が何軒も入っているビルに全速力で駆け込んだ。


 昔から慣れ親しんでいる居酒屋「坐・和民」へ。キンキンに冷えた生ビールで喉を潤し、店員おススメの焼き鳥(タレ)に舌鼓を打つ。安定のコンビでホッと一息ついたところで、下の階には低価格と鶏料理の豊富さで人気の「三代目 鳥メロ」があることに気が付いた。歌手も居酒屋も最近は「三代目」がいいらしい。店内を覗いてみると、なんと満席。女性客はほぼおらず、サラリーマンらしき男性ばかり。10分ほど待ってようやく席にありつく。名物だという「ぷるぷるダレの炭火焼鳥」がとにかくうまい。ん? 形に見覚えがあるぞ。店員曰く「タレと炭火で焼いているのが売りです。鶏肉自体は、実はワタミと一緒なんですけどね」。ん? 彼はいまワタミと一緒と言ったか?



 何となく釈然としない思いを抱えながら、いつまでも飲み続ける仲間と上の階にある「BARU&DINING GOHAN」という小洒落たバルで飲み直す。照明を落としたしっとりとした雰囲気の店内は、女性客やカップルなどの姿が目立つ。カクテルのつまみに「フライドチキン スパイス&ハニーマスタードソース」を頼んでみる。スパイシーな鶏肉にハニーマスタードの甘辛さが絶妙である。思わず店員に賞賛を贈ると、「ありがとうございます。味付けや調理の仕方が違うだけで、ワタミのから揚げと同じ鶏肉を使っているんですけどね」。


 ……ひっくり返った。


 そう。名前も形態も違うこの3店舗、すべてがワタミグループの系列店だったのだ。


 このビルの事例だけではない。いま外食チェーン業界はM&Aが進み、グループ内の系列店で食材を共有することで、コストを低く済ませるマスマーチャンダイジングシステムが浸透している。それゆえ、どの店に行っても同じようなメニューがズラッと並ぶことが珍しくない。


 ことの是非はひとまず置いておいて、我が国の外食チェーン業界は群雄割拠の戦国時代。生まれては消え、合従連衡を繰り返し、勝者のみが巨大化していく。祇園精舎の鐘の声。盛者必衰の理をあらわす。こんな時代になぜ突入したのか。


 筆者は子どものころから外食チェーン店にはよく足を運んでおり、気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べていた人間である。日本における外食チェーン誕生からの歩みを振り返り、昔とは様変わりした現在の勢力図を描いてみたい。



■ファミレス誕生秘話―黎明期

 小学生のころ、「すかいらーく」のハンバーグは何物にも代えがたいご馳走だった。美味しくて楽しくて、まるで遊園地に行くかのような高揚感に満ちていた。「あの看板の鳥は、チルチルミチルの青い鳥」とあまりにも毎日執拗にねだる息子に母は「あれは食べたらアホになるアホウ鳥だ」と嘯(うそぶ)いたほどである。


 外食チェーンの興りを探っていくと1970年という年に集約される。2月に米マクドナルドとの資本提携を探っていたダイエー創業者中内㓛が、東京・町田市に日本初のハンバーガーチェーン「ドムドムハンバーガー」を設立すると、3月には大阪万博に、福岡のロイヤルがレストランを出店して大盛況となった(翌年、北九州市に「ロイヤルホスト」1号店を開く)。


 そして7月。東京・府中市の国道沿いに開店した一軒のレストランが、我が国におけるファミリーレストランの始祖鳥、「スカイラーク」である。長野県諏訪市出身の横川四兄弟が作った日本で初めての“ファミレス”。その中心的存在が三男の横川竟(きわむ)だ。



 横川は17歳で築地の食品問屋に奉公に出て、1962年、兄弟を呼んでひばりが丘でことぶき食品という食料品店を開く。いまでいうコンビニエンスストアのような業態だ。最大6店舗まで増えたが、大手の西友が出店してきて大赤字に。次の事業をどうするか考えたとき、当時の日本では遅れていると感じた外食産業に注目した。横川は言う。


「外食先進国のアメリカに視察に行きました。僕らが注目したのは特に『デニーズ』や『サンボ』など、アメリカではコーヒーショップレストランと呼ばれていた24時間営業の店。マクドナルドのようなファストフードと違い、テーブルサービスが重要なこの業態なら、自分たちがやってきた個人商店的な能力が活かせると考えたんです」


 1号店を作った「府中市の鳥」がひばり。かつて商店を経営していた場所がひばりが丘だったため、店名はひばりの英語名“スカイラーク”とした。当時の外食店は駅前にあるのが普通。国道沿いの郊外にあるのはドライブインぐらいで、洋食のレストランとしては異例だった。当時は「ハンバーグ&エビフライ」、「ハンバーグ&カキフライ」が主力のメニュー。当初の目標は三多摩地区に30店舗だった。


「狙ったのは郊外に住むファミリー層のために、綺麗でサービスも親切、そして安くてとにかく美味しい料理を出すこと。でも寝ないで働いたけれどお客さんはなかなか集まらず、僕はサクラばっかりやっていました(笑)。資金繰りも大変で家も売ってしまった」(横川)


 転機となったのは1973年。


「ある小学生が書いた作文が表彰されたんです。『夏休みにどこにも行けなかったけど最後に両親がスカイラークに連れて行ってくれたら、楽しくて、美味しくて、とても感激した』という内容でした。その影響で家族層のお客さんが集まり始めた。さらにある新聞が、『最近郊外にファミリーで食べに行くレストランが出現した』という記事を書いてね。僕らはそれを読んで『ファミリー』と『レストラン』を併せた言葉はいいんじゃないか。使おうと。店の名前もひらがなに変えて『ファミリーレストランすかいらーく』が生まれたんです」(横川)


 すかいらーくの成功に続けとばかりに、ファミリーレストランは増えていく。1974年にはイトーヨーカ堂が米デニーズと契約を結んで「デニーズ」を横浜にオープン。アメリカからレシピ、調理器具類を日本に持ち込み、本格的なアメリカンメニューも提供できる店をつくり上げた。1978年にはサラダバーの先駆け「ビッグボーイ」が箕面市に、1980年にはカリフォルニアスタイルのレストラン「ココス」が土浦市にと、アメリカで名を成した強豪レストランチェーンが続々と上陸。ココスは茨城を中心に店舗を展開、一時筑波研究学園都市は道を行けども行けども研究施設とココスしかない、という有様だったとか。


 すかいらーくも順調に店舗数を増やしていった。


「でも儲かると人間ってダメになります。1978年に株を上場したら瞬間的に時価総額で世界のソニーを抜いた。世間に注目され、僕ら経営陣は自惚れてしまった。店舗数は増えていくけど、既存店は上場の翌年から客数が減っていた」(横川)


 そこで1980年、横川はすかいらーくを辞して、コーヒー&レストランの「ジョナサン」の社長となる。食材の鮮度、接客サービスの向上、店舗を清潔に保つことを徹底させ、見事に集客に成功した。一方、横川の抜けたすかいらーくも1983年に和食の「藍屋」、1986年には中華の「バーミヤン」と別業態を生み出す。前者は法事でも十分に使える高級会席もあり、後者は手頃な値段で「回らない中華」を楽しめるのがウリ。そしてやみくもに店舗数を増やした。


「新たな仕掛けを考えるのではなく、店舗数と売り上げが至上主義となってしまったんです。それがいまの外食チェーン業界の買収癖につながっているんです」(横川)


 だが行き詰まったすかいらーくグループは奇策を打ち出す。


 1992年に登場した、セルフのドリンクバー、ワイヤレス型呼び出しベルを導入した低価格路線の「ガスト」だ。380円でハンバーグが食べられるなど、当時高校生だった筆者にとっては黒船が来たぐらいの衝撃だった。ガストの前には人だかりができあがり、翌年には720店あったすかいらーくのうち、なんと420店舗が瞬く間にガストに転換されたのだ。


 その後、横川はジョナサンとすかいらーく両方の経営に携わり、紆余曲折を経て、2008年、社長の座から退いた。


居酒屋新御三家―空前のデフレ期に突入

 外食チェーン界の巨人が放ったガストの登場で、バブル崩壊と共に、本格的な低価格過当競争の時代を迎える。


 続いて、元々は千葉県・本八幡の個人洋食店から始まった「サイゼリヤ」が、高級料理のイメージのあったイタリア料理を低価格で提供し出した。極めつけはミラノ風ドリアを290円へプライスダウン。プロシュートもモッツァレラチーズもエスカルゴも、初めて口にしたのはサイゼリヤだったという人間は多いのではないか。サイゼリヤは我々に、トレンディドラマの登場人物でなくてもイタメシを食べられることを教えてくれたのだ。


 この流れは居酒屋チェーンにも波及していく。


 かつて1970年代に“居酒屋御三家”と呼ばれていたのが、北海道の8坪の店舗から始まった「つぼ八」、シロップ入りのチューハイを作り出した「村さ来」。戦前に木下藤吉郎なる人物が創業、オリジナルブランド養老ビール(中身はサッポロビール)で知られる「養老乃瀧」の3社である。


 それが1990年代に入り、居酒屋とファミレスの中間的なメニューをリーズナブルにそろえ、店舗も綺麗で、ファミリーでもカップルでも気軽に行ける“新御三家”の時代へと突入する。そのうちの二家は、初代御三家・つぼ八のフランチャイズから独立した店であった。


 ひとつは冒頭にも出てきたワタミ。1984年、渡邉美樹はつぼ八高円寺北口店を買い取り、フランチャイズオーナーとなる。1992年にフランチャイズ契約を解除、「和民」ブランドを立ち上げた。


 もうひとつがつぼ八の店長だった大神輝博が独立して作ったモンテローザである。当初は「白木屋」ブランドを展開しており、1993年にはすでに100店舗を越えていたが、同年、和民を意識したかのような「魚民」ブランドを開店する。後に両社は店名や看板が似ている、似ていないで裁判沙汰にまで発展した(最終的に和解)。


 1994年には、逗子の居酒屋発祥で主に神奈川県内で店舗数を拡大していた「甘太郎」が東京進出を果たし、社名をコロワイドへと変更する。コロワイドの特徴は同一地域や、ビルを一棟借りして、そこに様々な業態の店を出店すること。冒頭の上野の居酒屋ビルのような多業態ドミナント戦略だ。近隣に複数の店舗があることで嗜好に合わせた店選びができるだけでなく、人材の相互補完、物流のコスト削減などを優位に進められるのだ。


 居酒屋チェーンではワタミ、モンテローザ、コロワイド、この新御三家が、個人の弱小居酒屋では太刀打ちできない圧倒的な勢いで事業を拡大していく。そして2000年、コロワイドが東証二部に、ワタミが東証一部に上場、そしてモンテローザが全国47都道府県に出店を達成する。


 ハンバーガーチェーン業界でも、熾烈なデフレ戦が繰り広げられていた。


 牽引したのは1971年に藤田田が創業した「マクドナルド」。国内ハンバーガーチェーンでは圧倒的な存在だった同社だったが、90年代前半にシェア50%を下回ったことに焦りを感じたのだろう。藤田が「価格破壊の大旗の下、奇襲作戦を繰り返そう」と檄を飛ばし、1995年にハンバーガーを210円から130円へと大幅値下げを断行。その翌年以降も期間限定で100円以下の値下げを行ない、6年間で利益を倍増させた。


 ロッテグループの「ロッテリア」は当初マクドナルドの向こうを張って低価格路線で競争をしていたが、早々に脱落。経営不振でリストラを余儀なくされた。西武商事が運営していた「バーガーキング」は、アメリカ流の大型ハンバーガーを引っ下げて1993年に日本に上陸したが、運営を巡るドタバタもあって経営状況が悪化。最終的に2001年に撤退を余儀なくされた。唯一気を吐いたのが日興証券を脱サラした櫻田慧が創業した「モスバーガー」。当初からの高価格、高品質路線を崩さなかった。10円程度しか下げなかったことが奏功し、シェア2位をキープし続けることができた。


 デフレの嵐が吹き荒れた90年代が終わり、マクドナルドのシェアはハンバーガーチェーン業界で60%以上を占めることになった。だがそれはかつて子供たちの憧れの高級品であり、「誕生日会をやってもらう」のがステイタスだったマクドナルドのブランド力を著しく低下させることでもあった。後の原田泳幸社長時代、24時間営業を始めた際に、行き場をなくした人が一晩中居座る“マック難民”が流行、その後、期限切れチキンナゲット販売や異物混入なども相俟って、凋落の遠因となってしまった。


※〈ゼンショー小川社長が語った「M&Aで一番重視していること」 外食チェーン「国盗り物語」最新勢力図 #2〉へ続く


(村瀬 秀信)


注: この記事は配信日から2週間以上経過した記事です。記事内容が現在の状況と異なる場合もありますのでご了承ください。

コメント 3

  • 匿名さん 通報

    朝鮮系が、多くなってるけど 税金額割引?

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  • 匿名さん 通報

    携帯電話市場も同じだが、過剰なサービスを増やしても需要は増えないとしろう。こんな安値で過当競争する国はない。

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  • 匿名さん 通報

    個人的に居酒屋に関してはどこの駅前にもあるようなチェーン店舗に行く意味が分からん。色々と食してきた年齢のせいかも?だが、何を頼んでも75点の料理(大ハズレもないが)をわざわざ食べに行く気にはなれない。

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