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銀行の子会社が「おじさん」を再生産する牢獄になっている

2018年9月25日 07時00分

「『俺が、会社を良くしてみせる』。関連会社に行く同期は、送別会でそう意気込んでいました。それが、半年も経つと、すっかりやる気を失って、目から生気が抜けてしまったんです」


 こう話すのは、バブル世代のメガバンク幹部だ。
 
 メガバンクの子会社、関連会社には、メガバンクが決めた通りに事務を進める下請け業務を担う会社が多い。そこは、責任から解放されながら給与が払われる天国であり、変化しない秩序と能力の発揮が許されない牢獄でもある。



■頑張っても出世することはない

 あるメガバンクの取締役経験者は言う。


「私はある関連会社の社長になりました。ただ、この会社で、メガバンクの入行年次は私が一番下でした。つまり最若手です。メガバンクでの入行年次が上でも、最終ポストが私よりも下だった先輩は専務、その先輩より下のポストで終わった、さらに入行年次が上の先輩が、常務……。といった具合に、メガバンクでの最終ポストだけが会社の秩序を支えています。これが逆転することは決してありません」


 メガバンク本体の持ち株会社の社長、頭取を頂点としたピラミッド型の年功序列の組織を維持するためには同期を順次、本体から放出するしかない。その一方で、彼らを解雇するわけにもいかない。そうした中、終身雇用、年功序列を守るためには、こうした人員を吸収する、「逆ピラミッド」型の子会社や関連会社が必要になるのだ。


 ここでは、頑張っても出世することはない。給与も地位も、メガバンクの最終ポストによって規定されている。最若手がトップにいようとも、創意工夫で生産性を高めることも付加価値を生み出すことも求められていない。そもそも、そのようなインセンティブが、与えられていないのだ。


 取引先の企業への出向や転籍でも、似たような現象が起こる。ある銀行幹部が言う。


「取引先に出向、転籍する場合でも、メガバンクでの最終ポストの地位がすべてで、“常務で終わった人”が専務で、“部長で終わった人”が平の取締役のポストに就いたとすると、いかに“部長で終わった人”のほうが出向先の評価が高くても、その地位が逆転することはありません」


 内館牧子に『終わった人』(講談社文庫)というベストセラー小説がある。舘ひろし主演で映画化もされた。主人公の田代壮介は東大卒業後、大手銀行に入行、順調に出生を続けたが役員には昇格できず、49歳の春に「たちばなシステム株式会社」に取締役総務部長として出向、2年後の51歳の時に転籍した。田代は、この子会社の改革に取り組もうとしたが、その意欲そのものが否定され挫折、子会社の専務として63歳で定年を迎える。物語は、定年後の田代が、生きがいや居場所を探し続ける姿を描く。


 田代の子会社での十数年間は、「終わった人」の物語の前史であり、小説の中では短く触れられているに過ぎない。能力も気力もある50代の田代は、実力の発揮そのものを封じ込められて子会社で「終わる人」となる。これこそが、メガバンクの終身雇用を維持するために作り上げた「逆ピラミッド」の天国のような牢獄なのだ。


■メーカーにとって、メガバンクの元専務は「保険」

 無論、取引先から能力を乞われて銀行を退職、転籍した人は別だ。私も、個人的にこうして取引先で活躍している元銀行員を何人も知っている。


 しかし、銀行のあっせんで、取引先に出向した場合は、銀行が作り上げた秩序の外に、逃げ出すことはできない。ここにも「逆ピラミッド」と同じ秩序が形成されているのだ。


 あるメガバンクの中堅が言う。


「うちの銀行で専務になり、ある優良メーカーに副社長として迎えられた元上司がいました。私は、このメーカーに元上司を挨拶がてら訪ねました」


 すると、後日、この元上司から、中堅行員は、こう言われたという。


「これからは会社で会うのは止めよう。『銀行の人と、うちの財務担当者抜きで話すのは止めてほしい』と部下から注意されたよ」


 たとえ、副社長でも銀行時代の部下の挨拶を受けることすら、ままならないのだ。


 この優良メーカーからすれば、メガバンクの元専務を、何かの時の「保険」として副社長で預かっているという感覚なのだろう。


 副社長のポストは、融資の際に金利を低下させた見返りか、せいぜい危機時に融資を受ける保証料の代わりに過ぎないのだ。銀行員としての能力が期待されているわけではない。余計なことは、しないでほしいというわけだ。


■「逆ピラミッド」型企業が日本のGDPを低迷させている

 日本の企業社会を代表する組織であるメガバンクは、こうした「逆ピラミッド」型の子会社や関連会社をたくさん抱えている。メガバンクの終身雇用と年功序列を維持するためだけに生み出された場所だ。もちろん、こうした仕組みを整えている企業はメガバンクだけではない。日本的な大企業の大半が、似たようなシステムを維持しようと腐心している。


 現役のメガバンク幹部が言う。


「この逆ピラミッド型の企業が、日本のGDP(国内総生産)の伸びを低迷させている一因かもしれません」


■「おじさん」を批判していたバブル世代

 News Picksが6月下旬にアップした「さよなら、おっさん社会」という連載が話題を呼んだ。この記事では「おっさん」を「新しいことを学ばない(アップデートしない)存在」と定義し、若くても女性でも、新しい価値観に適応できず、既得権益をふりかざし、序列意識が強く、自己保身的な人は「おっさん」だと位置づけた。


 では、なぜ、人は「おじさん」になるのだろうか。


 今、「おじさん」を日本社会に大量に輩出しているのは「バブル世代」といわれる50代前半の世代だろう。筆者もその世代の一人だ。ただ、この世代は、終身雇用や年功序列が崩れることを前提に社会人生活をスタートさせ、バブルの麻薬に酔った団塊の世代の上司や先輩が「アップデートしない」ことに苛立ち、バブル崩壊という危機やグローバル化、デジタル化という波の中で、既得権益を壊し、新しい価値観を生み出す改革を叫んできた世代でもある。少なくとも、そうした志を持った多数の会社員たちがいた。


 しかし、上司や先輩である「おじさん」を打破し、乗り越えようとしていたバブル世代の会社員たちが、いつのまにか「おじさん」になってしまった――。


 いったい、なぜか。


 その背後には、「終身雇用」と「年功序列」という日本の企業社会を支えてきた仕組みが、しぶとく生き残っていることがありそうだ。メガバンクが抱える逆ピラミッド型の会社は、その仕組みを支える重要なパーツだ。そこに、多くの人が吸収されて、血気盛んな若手社員も、いつの間にか「おじさん」へと作り替えられてしまう。


■「終身雇用」は1980年代から揺らいでいた

「終身雇用」という言葉が、日経の社説に掲載され始めたのは1981年で、1984年には年間7本の社説が終身雇用というキーワードを扱っている。


〈いまや「寄らば大樹の陰」とばかりに安穏な会社人生を送ることは難しい世の中である。自らの適性に応じた職業選択をしたうえで、さらに職業能力の開発に努めなければならない。年功序列、終身雇用という日本的な労使慣行も大きく揺さぶられ始めているのは間違いない〉


 日経が社説「“変化の時代”に対応する雇用態勢を」で、こう指摘したのは1984年5月17日付朝刊だ。


■「終身雇用」と「年功序列」の誕生

 野口悠紀雄は『1940年体制』(東洋経済新報社)で、終身雇用、年功序列などの日本企業の特性の淵源を戦中の1940年に導入された国家総動員体制と位置付けた。


 長期間働くことで賃金や退職金が増える仕組みが戦時体制の中で築かれ、労働者の流動化を防いだ。終身雇用、年功序列の仕組みは、1950年代から始まる高度成長にうまくマッチする。洗濯機、冷蔵庫、カラーテレビの大量生産で日本が世界をけん引した時代だ。しかし、1970年代の2度のオイルショックとともに、日本経済の急成長は鈍化。省エネなど技術力で世界に注目される一方、1980年前後からは、追いつけ追い越せで、大量生産を支える終身雇用、年功序列は「大きく揺さぶられ始め」、社内失業である「窓際族」の悲哀が新聞紙面を飾るようになったのだ。


「窓際族」という言葉が、日本経済新聞に載ったのは1978年のことだ。


 1982年11月2日付の日経新聞朝刊の連載記事「その日から(4)永年の蓄積は本に(サラリーマン)」の中で、ある大手メーカーの「繊維本部長付」となった56歳の男性の言葉が紹介されている。


「窓際族の定義を教えてあげましょう。今日ハ会社ニ行ッテ何ヲシヨウカ、毎朝ソウ考エネバナラナイ人間ノコト」


 1980年代に、学生時代を過ごしたバブル世代は、高度成長期に巧く機能していた終身雇用の会社システムの根幹が揺さぶられていることを日経などの報道を通じて十分に知り、その限界を感じながら、社会に出る準備をしていた。日本を含めた先進国が、アメリカ経済を支援するドル安誘導に取り組むプラザ合意に踏み込んだのが1985年だ。そして、プラザ合意が生み出す円高不況を警戒した日銀の低金利政策などの余波で発生したバブル経済の中で、社会人生活をスタートさせることになった。


 1989年末には日経平均株価は4万円近い高値を付け、地価の高騰で、東京23区の土地をすべて売れば、アメリカが2個買える、とまで言われた。


「24時間戦えますか」という栄養ドリンク「リゲイン」のCMソングが流れ出したのは1988年ごろ。ジュリアナ東京には派手な衣装で踊る若者たちが集った。バブル経済に沸き立ち、猛烈に働く会社人間の群れに、バブル世代の若者は、飛び込んでいったのだ。


■崩れゆく「1940年体制」と構造改革


 しかしバブル世代は中堅社員になり、バブル崩壊後の「失われた時代」を生き抜くことを迫られる。バブル崩壊の影響で名だたる大企業が潰れた。例えば名門銀行の日本長期信用銀行も経営破綻し、一時国有化された。産業界の合併再編が進み、不良債権の処理に苦しんだ大手銀行にも公的資金が投入され、3メガバンクを中心とした体制に再編された。


 2001年に登場した小泉純一郎首相は「自民党をぶっ壊す」と叫び、既得権益の打破を訴え、国民的な人気を得た。多くのバブル世代が、崩れゆく「1940年体制」の現実を見て、構造改革に夢をつないだのではなかったか。


■少しでも給与や肩書が下がるのが嫌

 しかし、大樹が少なくなればなるほど、人は不安が募り大樹にしがみつこうとする。


「既得権益の打破」「新しい価値観の樹立」というメッセージに共感しながらも、実際には、より確実な大樹へと逃避、大企業から飛び出すことを躊躇してしまったのが、バブル世代の多くの大企業サラリーマンだったのではないか。


 バブル世代の銀行幹部は、こう分析する。


「われわれは、みな損失回避バイアスに囚われているのかも知れません。銀行を飛び出しても、それなりに稼げる自信がある人が多いと思います。でも、60歳まで保証された権利よりも、少しでも給与や肩書が下がるのが、嫌なんです」


 ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが提唱した「プロスペクト理論」によれば、われわれは、利益を得る不確かな可能性よりも、確実に損失を回避する方を選択しがちだという。


 さらに銀行幹部はこう指摘する。


「人生100年時代という掛け声も、バブル世代を萎縮させているのかもしれません」


 人生100年時代の新しい働き方を説く『LIFE SHIFT』(東洋経済新報社)のリンダ・グラットンは、働き方は「教育」「勤労」「引退」の3ステージから、マルチステージへ移行すると指摘する。価値あるスキルを身に付けるために学び続け、プラスになる人間関係を維持、会社や組織に頼らない自分自身の評判を構築することが大切だと説く。


 グラットンの主張は世界中で反響を呼んだ。まさに、年功序列、終身雇用からの脱却が必要だと読み替えることができるだろう。


 しかし、メッセージは強烈で正当であればあるほど、逆の意味に変換されることがままある。この銀行幹部は、グラットンの真摯なメッセージも、多くのバブル世代の銀行員たちに反転したメッセージとして受け止められたのではないかというのだ。そんなに人生が長くなるなら、リスクは取れない。いまさら学び直しなんてできない。しっかり、守らないと生き残れない――。


 そして、ますます大樹にしがみつく行動が加速してしまったのだ。


 バブル世代がメガバンクや大企業を一気に退職して、逆ピラミッド会社から飛び出し、新たなビジネスの世界に乗り出せば、おそらく巨額の付加価値が日本に生み出されるだろう。そして、個人としても成功する人は、決して少なくないはずだ。


 しかし、給与の後払いのように権利として目の前に用意された「天国のような牢獄」を多くの人が、選択してしまう。損失を確実に回避する仕組みの中に、多くの人が吸い込まれてしまう。そしてアップデートしない「おじさん」にまっしぐらに転落してしまうのだ。


■経営の目的と化した終身雇用

 では、この現象を経営の側からみるとどうなるのか。


 会社とは、そもそも利益を生み出すためのフィクションに過ぎない。終身雇用も年功序列も、かつて利益を稼ぎだすために有効な仕組みだったというだけだ。しかし、利益を作る手段に過ぎない会社組織を維持することが、いつの間にか目的に転じた。終身雇用や年功序列が手段ではなく、経営の目的と化したのだ。


 確かに終身雇用と年功序列は、労働者にとって「甘い囁き」だ。世の中が不確実になればなるほど、失業が回避され、少しずつでも給与や肩書が上がる可能性がある会社は、魅力を放つ。


 年功序列の階段を上ってトップに立った経営陣からすれば、終身雇用と年功序列のシステムを守ることは、自身のアイデンティティを支える基盤だ。年功序列のシステムの中では、「経営トップになること」が目的となり、「経営トップとして何をするか」は置き去りにされてしまう。


 終身雇用や年功序列を維持するという先輩や後輩たちの期待に応えることを最大の責任と考えるようになっても何ら不思議ではない。


 終身雇用と年功序列の維持を目的として、会社が回るならそれも一つの選択だろう。


 しかし、利益が出なくなれば、会社というフィクションは、途端に崩れてしまうのだ。赤字が続けば、終身雇用も年功序列も吹き飛んでしまうのだ。


■3メガバンク合計で3.2万人超の人員削減の衝撃

 たとえば、みずほフィナンシャルグループ(FG)は、2017年11月、組織構造を大幅に見直す計画を発表した。7.9万人の行員のうち1.9万人を2026年度末までに削減、約500店ある店舗も24年度末までに約100店舗減らすという。三菱UFJフィナンシャル・グループと三井住友フィナンシャルグループも、これに追随し、3メガバンク合計で、3.2万人超の人員が削減されることになった。


 フィンテックという技術革新と間接金融のシステムが限界を迎える中、銀行は、今後も利益を出せる体制を維持できるのか、瀬戸際に立たされている。


■逆ピラミッド会社が終身雇用と年功序列を崩壊させる

 メガバンクが、付加価値を生まない逆ピラミッドの子会社や関連会社を維持し、金利と引き換えに、取引先に役員を送り込む余裕は早晩、失われてしまうだろう。


「天国のような牢獄」である逆ピラミッド会社は、雇用の安定と能力を発揮する可能性を交換する甘い罠だ。しかし、この甘い罠は付加価値を生まない「おじさん」を大量に再生産することで、その目的である終身雇用と年功序列、そのものを崩壊させようとしている。それだけでなく、日本経済の成長すらも鈍化させているのだ。


 三菱UFJ銀行の三毛兼承頭取は『文藝春秋』10月号の「三菱UFJ頭取『さらば年功序列』宣言」の中で、いま変わらなければ銀行は“絶滅”する、として、「『職能』ではなく『職務』(スキルや知識、専門性)をもっと重視する人事運営にシフトし、スペシャリストを出世させていく。ゼネラリストが順繰りにポストに就き、出世していく時代は終わりにしたいのです」と表明している。


 これが実現すれば年功序列の終わりの始まりとなり、逆ピラミッド型の子会社も、いずれは必要なくなるだろう。ただ、三毛頭取が指摘するように「志を持った若手を、一部の保守的な上司たちが邪魔をしているという現実がある」のがメガバンクの実像なのだ。三毛頭取の改革が本当に実現し、三菱UFJ銀行が生まれ変われるのかどうかに、注目したい。


「寄らば大樹」は、もはや難しいという1984年の日経社説の指摘は、30年以上の時を経て、ようやく実現しようとしているのだ。


(小野 展克)


注: この記事は配信日から2週間以上経過した記事です。記事内容が現在の状況と異なる場合もありますのでご了承ください。

「銀行の子会社が「おじさん」を再生産する牢獄になっている」のコメント一覧 5

  • 匿名さん 通報

    政府が生涯勤労などというふざけたことを言い出した害である。結局政府が年金を確保できず民間に押し付けた結果でしょ。戦後の自民党が完全に破綻してる。党を解散しろよ、議員もいらない。官が全部やれば?

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  • 匿名さん 通報

    いつの時代も一緒ではないか?若い時だけ、貴重な戦力として重宝される。比較的、賃金も安い。50代位になると、飼い殺しみたいな扱いに。ほとんどの人が同じ目に。ポストもない。覚悟せねば。

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  • 匿名さん 通報

    どうでもいいですよ~~

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  • 匿名さん 通報

    新卒一括採用における、大企業の採用率のパーセンテージをご確認されたほうが、良さそうですね。

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  • 匿名さん 通報

    社会が成熟し成長できなくなると大きくて確かな大企業にしがみつくものだ。

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