※イメージ画像:『酒井若菜写真集「I LOVE YOU」』ワニブックス

 グラビアアイドル出身の女優・酒井若菜(33)が、自身のTwitterで「地獄のようだった」という過去の休業を振り返っている。酒井は05年、舞台を突如降板したことをきっかけに女優業を約一年間休んだ。

降板理由をめぐっては業界内でも様々な憶測が流れており、かなり深刻な事情があったと推測されている。

 88センチFカップの巨乳を武器にグラビアで活躍していた酒井は、映画化もされた02年のドラマ『木更津キャッツアイ』(TBS系)のモー子役で女優としてもブレイク。以後はドラマや映画のオファーが次々と舞い込み、05年には演技力の高さが評価されて舞台にも挑戦することになった。ところが、初舞台となるはずだった大人計画の『キレイ-神様と待ち合わせした女-2005』を突如降板。表向きの降板理由は体調不良だったが、実際は別の原因があったと当時からささやかれていた。

 酒井は今月11日、来年3月に鈴木おさむ演出の舞台『イケナイコトカイ?』で初舞台に挑戦することに関連してTwitterで過去の降板に言及。

「かつて舞台降板して、そこから人生変わってしまいました」と切りだした酒井は「もしあの時…なんて考えてたらキリがないけど『キレイ』は、ゴールデンの連ドラ初主演抜擢を蹴っての挑戦でした」と休業当時の内幕を明かした。

 酒井は続けて「結局舞台も連ドラもできず休業、その後復帰も仕事のない日々 あの時、素直に連ドラを選んでいたら、と何度も思いました 今だから言えること」と綴っている。連ドラを選んでいれば休業しなくて済んだということは、暗に「舞台降板は体調不良だけが原因ではなかった」と示唆しているともいえるだろう。

 また、酒井は「罰は受けたつもりです 最初の数年は地獄のような日々でしたので無事芸能界に復帰したのが奇跡です」とも記しており、舞台の降板がタレント人生を大きく変えてしまったのは間違いないようだ。さらに酒井は「もしあの時休業しなかったら、私は小説も書かなかったし、エッセイも出さなかった 主演の女の子を支えようとか、ブログ読者を支えようとか、きっと思わなかった 挫折した人を『自己責任でしょ』と突き放してた 休業してよかったとはいまだに思わないけれど、よかったことも確実にあったんだ」と綴り、マイナスなことばかりではなかったと前向きな発言もしている。

 それにしても、酒井がここまで追い詰められた舞台降板の原因は何だったのか。

「一説には、大人計画を主宰する松尾スズキ氏との間に確執が生まれたといわれています。降板から3年後に小説家デビューした酒井の最初の作品は『不倫』がテーマでした。これは実体験をアレンジしたものではないかと噂され、その不倫相手が当時既婚者だった松尾氏との説もあった。一部業界内には、不倫関係がこじれて舞台降板につながってしまったという見方があるようです。07年に松尾氏が離婚したことも、この説の信憑性を高めることになった」(舞台関係者)

 これだけでなく、別の降板理由もささやかれているようだ。

「不倫関係がこじれただけでなく、当時の酒井の演技者としてのレベルが低すぎたことも災いしたといわれています。

降板した舞台はミュージカルでしたが、歌もダンスも酒井は素人レベルだった。しかし、当時ブレイクしていた酒井はテング状態で全く謙虚さがなく、高い演技力を求める演出サイドと何度となく揉めることになった。このトラブルは多方面に影響し、所属事務所とも衝突。結果として休業から数年後に酒井はデビュー以来所属していた事務所を離れ、バーニング系列の事務所に移籍しました。新事務所の力の大きさが功を奏し、今では過去の降板トラブルはなかったことのようになっています」(前同)

 酒井は本来なら二度と舞台に立てないようなヤラカシをしてしまったようだが、結果として何とか芸能界復帰を果たし、謙虚さを身に付けたことで人間として厚みも増したようだ。嫌な思い出があった舞台に初挑戦することでトラウマを克服し、より輝きの増した女優に成長することを願いたい。


(文=佐藤勇馬/Yellow Tear Drops)