0

貞淑美女タレントの性白書 田中美佐子 奇跡の58歳熟女に高まる再“美乳ヌード”熱(2)

2017年11月19日 23時00分 (2017年11月20日 22時52分 更新)

 その田中は、兄2人と姉の4人兄姉の次女として誕生(島根・隠岐郡西ノ島町)。高校卒業後に上京し、短大在学中に劇団『ひまわり』に入団した。
 「“普通のOL”になりたくなかったそうです。ただそれだけで、有名人になってやろうという気はサラサラなかったようです」(前出・小松氏)

 そして、短大卒業後の1981年、TBSの緑山塾からドラマ『想い出づくり』でデビュー。当時の芸名は“田中美佐”だった。
 1982年、『ダイアモンドは傷つかない』で映画初出演(主演)した。
 「サイズはT163センチ、B82・W57・H85。小ぶりながらも、形のいいおっぱいを披露して、新人賞を総なめにしました。次の映画でも裸身をさらし、ヌード写真集も出しましたが、本人はそれが嫌で、一時、芸能界を休業していたことがありました」(映画関係者)

 復帰のきっかけをつくったのは、萩本欽一だった。
 「当時、欽ちゃんが司会を務めていた番組で、彼女はアシスタントをしていたんです。意を決して欽ちゃんに相談したところ、当時、欽ちゃんが所属していた事務所の関連会社を紹介された。今の“面白さ”の原点は、ここにあるようです」(前出・テレビ局関係者)

 1992年、『眠れない夜をかぞえて』(TBS系)で連ドラ初主演。以後、映画やドラマで安定した演技を見せてきた。
 「ちなみに、夫でお笑いコンビ『Take2』の深沢邦之とは、この事務所で知り合いました。実は、売り出す前の深沢は、田中の付き人兼運転手をしており、その“献身ぶり”に田中の方が先に惚れたのです」(芸能レポーター)

 結婚は1995年11月だった。

注: この記事は配信日から2週間以上経過した記事です。記事内容が現在の状況と異なる場合もありますのでご了承ください。

コメントするニャ!
※絵文字使えないニャ!