0

達人政治家の処世の極意 第三十回「亀井静香」

2015年12月18日 17時00分 (2015年12月19日 16時34分 更新)

 情熱だけは誰にも負けぬ。汚れ役いとわず。俺は矢弾を一身に受ける弁慶でいいのだ。

 最近は聞かれなくなったが、アブラの乗り切ったときの異名はドンドンイケイケのタイプだったことから「ドン亀」。亀井静香は、誤解も多く損もまた少なくなかった政治家である。かのハマコーこと浜田幸一が珍しく「さん」付けで呼ぶほどの男。政局が絡むと人一倍元気が出る一見コワモテ、しかし遠目には「タカ」に見えても近寄ってみると「ハト」で、人権派にして義理人情に厚かった。ために、政界では一方で「亀ちゃん」と慕われ、敵が意外と少ないというのが「ドン亀」の“特性”だ。

 亀井はキャバレーのボーイや写真現像所での夜勤など苦学をしながら東大経済学部を卒業。1年間だけ民間会社に入ったが一念発起で会社を辞めて東大に再び学士入学する。猛勉の結果、国家公務員上級試験にパスして通産省を受けたが、「アンタはたった1年で会社を辞めている。そんな男はうちにはいらない」とハネられて警察庁に入った。
 警察庁には15年いたが、その間「連合赤軍事件」での“浅間山荘攻防戦”の指揮を執った。長官官房調査官ポストを最後に退官し、昭和54年の総選挙に出馬、政界に躍り出た。

 亀井はかつて、筆者にこう語っていたことがある。
 「中学、高校のころは“左”の考えだった。組合の委員長になりたいと思ったこともある。警察庁を辞めたのも、やがて年を重ね、部下の支えでメシを食っていくというのは潔くないと思ったから。

注: この記事は配信日から2週間以上経過した記事です。記事内容が現在の状況と異なる場合もありますのでご了承ください。

コメントするニャ!
※絵文字使えないニャ!