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天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 鈴木善幸・さち夫人(上)

2017年12月11日 18時00分 (2017年12月12日 17時52分 更新)

 前任の大平正芳首相が昭和55年(1980年)6月の衆参ダブル選挙のさなかに急死したのを受け、後継の座に就いたのが鈴木善幸であった。当時、「ロッキード裁判」を抱え権力維持に必死の「闇将軍」田中角栄元首相が、自らの影響力保持のため、コントロールの利く鈴木を半ば強引に総理のイスに押し上げたものだった。
 半ば強引というのは、鈴木は元々、強いリーダーシップを発揮するタイプではなく、佐藤栄作政権下でじつに政府・自民党の“まとめ役”としての総務会長を通算10期も務めるなどの調整力が持ち味。衆目の見るところ「総理の器」ではなかったことによる。ために、国民からは「ゼンコー・フー(鈴木善幸とは何者)?」との声も出たのだった。
 一方で、自民党内の反田中勢力からは「田中のカイライ政権そのもの」との声を浴び、政権は2年余に及んだが、その間、目指した「行財政改革」はほとんど実らなかったものだった。

 夫人の鈴木さちは、「漁業」が縁で結ばれた。
 日中戦争さなかの昭和14年、岩手県海浜部の山田町出身の鈴木は時に28歳、疲弊する漁村の救済に情熱を傾け、全国漁業協同組合連合会(『全漁連』)の職員であった。そこに入る前は農林省の水産講習所に通い、ここでは「秀才」と謳われていた。
 一方のさちは、20歳、函館水産学校校長の長女で性格はざっくばらん、機転の利く辛抱強い娘であった。東京・赤坂の乃木神社で挙式した。

 しかし、箱根と決めた新婚旅行先からして、さちにとっては仰天の日々が待っているのだった。

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