「加計学園問題」で一躍、時の人となり、昨年11月に『これからの日本、これからの教育』(ちくま新書)を上梓した前文部科学事務次官の前川喜平氏にロングインタビュー!

前編記事(「教育無償化」が単なるバラ撒きにならないために必要なこと)に続き、後編では教育に持ち込まれている「国家主義」「新自由主義」の弊害、そして今年から教科化される「道徳」教育の危惧すべき中身を語る──。

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─教育無償化など、教育行政の問題が議論になるたびに考えさせられるのは、国や自治体が支える「公教育」はそもそも誰のために、何のためにあるのか…という素朴な疑問です。
長年、文科省で教育行政に携わってきた前川さんはどうお考えですか?

前川 基本的に教育はそれを必要とするひとりひとりの「個人」のためにあると私は考えています。そして教育はカネやモノではなく「人間の心」を扱う。その本質は「現場」にしかないし、それを実践している主体は学校の先生たちです。

しかし、文科省の官僚や政治家の中には「教育はこうあるべきだ」と考えて、それを現場にやらせるのが自分の仕事だと勘違いしている人も多い。今は特に、それなりの権力や影響力を持った政治家が教育の中身に介入して、ある意味「国家主義的」な観念を植え付けようという動きが強まっている。これは非常に警戒すべきことです。


―特にここ数年、前川さんが指摘された「国家主義的」な、例えば子供たちに「愛国心」を強要するような教育や、経済の世界と同じように教育にも「自由な競争」「民営化」を進めるべきという「新自由主義的」な考え方を持ち込もうという動きも強いように感じます。

前川 ただ、それは最近に始まった話ではなく、おそらく中曽根内閣の頃からそうした国家主義的な方向性と新自由主義的な方向性が大きくなってきていると思います。それが小泉内閣、安倍内閣と時代を経るに従って、あからさまになってきたということでしょう。

新自由主義的な部分でいうと、最近は自民党よりも、むしろ維新のほうが強いかもしれませんね。つまり「教育も経済と同じように市場原理に任せればいい。競争原理に任せれば、結果的にいい教育が残るはずだ…」という単純な信念を教育に持ち込んでしまうという。


―それって、例えば全国統一テストの点を公開して、学校間、地域間で競わせれば、お互いが切磋琢磨して結果的に教育レベルが上がる…みたいな発想ですよね。

前川 しかし、教育は「人間」を相手にするものですから、商品のように単純な尺度では測れない。市場で買われる教育が「いい教育」だということになれば、例えば「中学受験に強い小学校」というニーズに合わせて、国語・算数・理科・社会だけに集中して、体育や音楽の授業はやらないほうがいいということになってしまいます。

そういったビジネス的な学校経営という発想から生まれたものに「勉強しなくても卒業できる高校」というものがあります。授業料を納めれば高校卒業資格をもらえるわけですから、これはニーズが大きい。そこでは低コストで、もはや教育とは呼べないくらいの極めて質の低い高校教育が行なわれています。


―高校卒業証書販売ビジネスですね。

前川 「株式会社立学校」は小泉政権の時、「構造改革特区」で導入されたのですが、その弊害が明らかに表れています。

その最たる例が一時期、メディアでも話題になった三重県のウィッツ青山学園でした。ここは通信制高校ですから、規定された日数のスクーリング(教室で教員と直接対面して行なう授業)が必要なのですが、ユニバーサル・スタジオへの旅行でスクーリングをしたことにしたり、学習の実態がない「幽霊生徒」を名前だけ入学させて県からの就学支援金を騙し取ったり…と本当にひどいもので、2016年度限りで廃校しました。



―その根底には、現在の加計学園問題に繋がる「規制緩和至上主義」がありますね。

前川 そうです。
やはり市場経済はしっかりとしたパブリックな市民社会という土台の上でコントロールされるべきだと思います。その土台を取り除いて、全てを市場原理に委ねてしまうと人間の世の中が弱肉強食のジャングルになってしまう。

株式会社立学校で言えば、そもそも株主の利益を最大化するのが株式会社なんですから、最悪の場合、株主のために教育の現場があるということになってしまいますよね。大阪市長時代の橋下徹さんにやんや言われて、「公設民営」という、公立学校を民間に運営させる制度を構造改革特区で導入したのですが、この制度にも同じような危険性があります。

―規制緩和という言葉には官僚の既得権益を打破するというポジティブなイメージもありますが、市場の自由競争に委ねていいものと、教育や医療など社会で守るべき「パブリックなもの」は分けないといけませんね。新自由主義のほか、「国家主義的」な観念が教育に持ち込まれていると先ほど仰いました。
小学校では今年から、中学校では来年から、いよいよ「道徳の教科化」が始まります。

前川 道徳の教科書や学習指導要領を読んでみると、とにかく「集団に帰属する」ことが強調されています。例えば、「みんなでよい校風を作りましょう」とかね。でも、私に言わせれば校風なんてものはいらないんですよ。そんなものは作ろうとするものではなく勝手に出来上がるものです。「よい校風を作りましょう」となれば、極端な話、「この校風に合わない人間はいらない」みたいなことになりかねない。


道徳の教科書には集団のルールを守ること、日本という集団に帰属するアイデンティティが強調されていて、これは言ってしまえば「日本らしさ」や「日本の国柄」を強調する人たちの根底にある「国体思想」と変わりありません。

―つまり、学校が「わが校の校風にふさわしい人間になりなさい」と言うことと、国が「日本人らしさを大事にしなさい」と言うのは本質的に同じということですね。個人よりも学校、人類や世界よりも日本が優先される考え方だと。

前川 道徳の教科書には「家族」「郷土」「国」という言葉は出てきますが、「国」で止まっていて、「人類」「世界」「地球」といった言葉はほとんど出てきません。一応、「他の国と仲良くしましょう」みたいな国際親善には触れられていますが、いわゆる地球市民的な発想は全く反映されていないんです。

でも、改正前の教育基本法の前文には「私たちは世界の平和と人類の福祉に貢献する」という理想があって、それは教育の力で実現できるんだって、ちゃんと書いてあったんです。ところが、そういう理想は道徳の教科書には出てこない。とにかく「日本の国柄を大事にしましょう」みたいな話が強調されていて、明らかに国体思想の影響があると思います。

―それは、これから日本の学校の中でも確実に増えていくであろう「日本にルーツを持たない子供たち」にとっては深刻な問題ですよね。

前川 本当に危険だと思います。日本は表向きには移民を受け入れていませんが、現実には外国人労働者も増えていて、教育の現場でも日本にルーツを持たない子供たちが増えている。

「血で繋がった日本人であることが大事」という、国体思想的な考え方が教育の現場で広まれば、それは将来、日本にルーツを持つ子供たちと外国にルーツを持つ子供たちの間に分断を生じさせかねない。アメリカの白人至上主義のような「日本人至上主義」的な団体が先鋭化して「この土地は日本人のものだから、外国人は出て行け」というヘイトスピーチみたいなことが各地で起こるかもしれません。

私はそうならないようにひとりひとりの違いを認め合う多様性のある社会を作ることが大事だと思っているんです。学校に宗教上の理由で豚肉を食べられない人がいてもいいし、障がい者がいても、もちろんLGBTの人がいてもいい。今のうちから学校という公教育の場で多文化共生の大切さを教えていかないといけない。教育が特定の理念を押し付けるのは良いことではないけれど、そうした「多様性」の大切さを伝えることは公教育の大切な役割だと思います。

―ところが、政治の側はそれとは全く逆の方向に向かっている…と。

前川 そうですね。ただ、この道徳教育に関しては、文科省が表向きに言っていることと、学校の現場に伝えていることはちょっとズレているんですよ。

―どういうことですか?

前川 道徳の学習指導要領の下には「学習指導要領解説」という、現場の先生向けに作った文書があるんです。そこには「特定の道徳的価値を教え込んではいけない」とか「これからの道徳は考え、議論する道徳でなければいけない」などと書いてある。

―あれ、そこは意外とちゃんとしてるじゃないですか。

前川 そう。確かに教科書には「国を愛しましょう」とか「父母や祖父母を敬愛しましょう」みたいな、まるで教育勅語を現代語に焼き直したようなことが書いてあるんですが、その裏で現場の先生向けのユーザーズマニュアル的な文書にはこっそりちゃんとしたことも書いてあるんです(笑)。

私はこれを「木に竹を接(つ)ぐ道徳教育」と呼んでいます。一見、ガチガチの決め事のように見えるけれど、その中に「竹のようにしなやかな部分」が仕込んであって、今の文科省の連中はこの「しなやかな部分」をできるだけ現場に伝えようとしている。

―そういう意味では、前川さんのような先輩が文科省の中で連綿と続けてきた、権力に対する「面従腹背」の伝統がちゃんと生きているわけですね。

前川 「国を愛する心」は教科書にも学習指導要領にも出てきますが、だったらそれを授業では批判的に扱えばいいわけです。

「国を愛するという時の『国』ってなんだ?」とか「そもそも『愛する』ってどういうことだろう」とか…それを自分で考え、みんなで議論することは決して悪いことじゃない。だって、「これからの道徳は考え、議論する道徳でなければいけない」と、文科省が作ったマニュアルにちゃんと書いてあるんですから(笑)。

(取材・文/川喜田 研 撮影/保高幸子)

●前川喜平(まえかわ・きへい)









1955年生まれ。東京大学法学部卒業。79年、文部省(当時)へ入省。宮城県教育委員会行政課長などを経て、2001年に文部科学省初等中等教育局教職員課長、10年に大臣官房総括審議官、12年に官房長、13年に初等中等教育局長、14年に文部科学審議官、16年に文部科学事務次官を歴任。17年、退官。現在、自主夜間中学のボランティアスタッフとして活動中











■『これからの日本、これからの教育』(ちくま新書 860円+税)









天下り問題で引責辞任した後、加計学園の問題をめぐって安倍総理の“ご意向文書”の存在などを国会で証言し、「行政がゆがめられた」と“告発”した前文部科学事務次官の前川氏。この問題を通じて教育行政とはどうあるべきか、また生涯学習からゆとり教育、高校無償化、夜間中学まで、同じく元文部官僚の先輩、寺脇研氏と語り尽くす

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