今回は、ちょっとマイナーな文学賞と、そのイベントの話題。
第2回翻訳ミステリー大賞が、ジェラルディン・ブルックス作/森嶋マリ訳『古書の来歴』に決定したのをご存じだろうか。
知らない? そうですか。いい小説なので、ぜひこのゴールデンウィークの間に読んでください。
翻訳ミステリー大賞とは、前年度に刊行された広義の翻訳ミステリーを対象として、フィクションの翻訳者が、「もっとも読者にお薦めしたい一冊」を選ぶものだ。第1回の大賞作品は2010年3月に選出され、ドン・ウィンズロウ作/東江一紀『犬の力』が受賞した。選考は、一次投票で上位に入った5作をすべて読んだ翻訳者に二次の投票権を与えるという本屋大賞式で行われた。3月末で投票が締め切られていたが、その開票が公開で行われることになり、4月20日に授賞式と併せて記念トークイベントが催されたのだ。


イベント会場は新宿2丁目の「Club EXIT」。普段はクラブとして使用されているが、この4月からは平日に「Live Wire」というトークライブも開かれることになり、その一環としてこのイベントが行われたのである。
第1部はその開票式。壇上に設置されたボードには候補作の書影が貼り付けられ、開票が進むにしたがって、そこに得票数を示す「エドガー・アラン・ポーの生首」が貼り付けられた(写真)。
結果は2位以下にダブルスコアの差をつけて『古書の来歴』が勝利。これは500年前にスペインで作られたといわれている稀覯本「サラエボ・ハガダー」に関する物語だ。
ご存じのとおりサラエボは、これまで幾度か大きな戦争の舞台になってきた。そのたびに本を守ろうとして命を賭ける人が現れ、サラエボ・ハガダーが戦火から救ってきたのだ。その数奇な運命を描く「本の小説」として、ミステリーファンならずとも読書家の心をとらえることは間違いない。すでにキャサリン・ゼタ・ジョーンズが映画化権を取得したといわれており、今後の動向が気になる作品だ。

イベントの第2部は、ゲストによる記念対談。ミステリー作家の法月綸太郎氏がはるばる関西から駆けつけてくれた。
それを迎撃するのは同じくミステリー作家の三津田信三氏。実は三津田氏は、分析的手法で謎解き小説を読む、筋金入りのミステリー読みなのだ。
冒頭から2人が共通して評価する英国作家コリン・デクスターの〈モース主任警部シリーズ〉の話題になり、対談は盛り上がった。法月が、三津田作品の背後にデクスターの影響があるのではないか、と指摘したのがきっかけだ。モースは本国でシリーズがTVドラマ化されたこともある人気キャラクターで、少ない手がかりから無理矢理仮説を立て、自分が間違っていることが判るとそれを何の未練もなく破棄して次の仮説に向かうという、やたらと思い切りのいい推理っぷりが魅力なのである。
三津田「モースは〈考えすぎる名探偵〉です。
名探偵を創造するとき、他の作家はキャラクターの外見や性格にこだわったが、デクスターは探偵の行動様式に着目した。シャーロック・ホームズを超える探偵キャラクターはもう書かれないんじゃないか、と思われていたが、デクスターはモース主任警部の創造で、それをなしとげた」
法月「(あまりにも目まぐるしく複数の仮説が展開されるので)読むほうは、モースが今何を考えているのか、と不安になるんですよね。〈アキレスと亀〉の競争を、小説上でやっているようなものです。いつまで経ってもモースには追いつけない」
さらに話題は多岐にわたり、この2人ならでは、という通好みの作品から、現代ミステリーではこれを押さえておかないと、という基本図書までさまざまなタイトルが挙げられ、深い談義が交わされた(司会は杉江松恋)。
司会者としては、法月氏が最近気になっているものとして「探偵とその弟子」というテーマを挙げたことが興味深かった。未熟な弟子が、探偵としての能力を身につけることによって、師匠を乗り越えていく。
そのドラマが謎解きのカタルシスとともに描かれるといった形式の作品だ。具体的に挙げられた作品名は、アメリカ開拓時代の無学なカウボーイが、雑誌でホームズの話を知って自分も探偵を志すというスティーヴ・ホッケンスミス『荒野のホームズ』、世界を代表する名探偵とその助手たちが集まった会場で連続殺人が起きるパブロ・デ・サンティス『世界名探偵倶楽部』、いんちき霊媒師にトリックを仕込まれた少年の成長小説ジェフリー・フォード『ガラスのなかの少女』などの諸作だ。

トークの詳報と、前述の開票イベントの模様は、5月末発売の「ハヤカワ・ミステリ・マガジン」に掲載される予定である。最近の同誌はファンの予想の斜め上をいく活躍ぶりをみせており、4月に発売された6月号では、巻頭特集で「名探偵コナン」を取り上げ、伝統ある専門誌の表紙に初めてコミック・キャラクター(江戸川コナン)を登場させた。オールドファンのみならず、新規読者の開拓にも意欲的な編集方針を見せているので(ちなみに7月号の特集は〈ゲゲゲの水木しげる〉だ!)、現在の同誌は初心者でも手に取りやすい。ぜひこの機会にご覧になってみてください。
第2回翻訳ミステリー大賞受賞作『古書の来歴』とともによろしく。
(杉江松恋)

(ゲストプロフィール)
法月綸太郎 のりづき・りんたろう
1964年生まれ。島根県出身。京都大学推理小説研究会出身。1988年に『密閉教室』(講談社文庫)でミステリー作家としてデビュー。エラリー・クイーンなどから強い影響を受けた作風が早くからファンの支持を集め、正統的な謎解きミステリーの書き手として注目される。2002年『都市伝説パズル』にて第55回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。2005年『生首に聞いてみろ』にて第5回本格ミステリ大賞小説部門を受賞。また、確かな評論眼の持ち主でもあり、『法月綸太郎ミステリー塾 海外編 複雑な殺人芸術』(講談社)などの評論書の著作がある。

三津田信三 みつだ・しんぞう
奈良県出身。編集者を経て2001年に『ホラー作家の棲む家』でミステリー作家としてデビュー。謎解きの関心と民俗学の知識を背景とした怪奇趣味を融合させた作風で独自の領域を開拓し、多くの読者からの支持を集める。2010年『水魑の如き沈むもの』で第10回本格ミステリ大賞小説部門を受賞。主な著書に『厭魅の如き憑くもの』に始まる〈刀城言耶シリーズ〉、『禍家』『凶宅』『災園』の家三部作、『十三の呪』に始まる〈死相学探偵シリーズ〉などがある。