まずトップの写真を見てもらいたい。
栽培が難しいと言われている青い薔薇。
しかしどことなく違和感がある。
造花なのだろうか。
そう思って目を凝らすと、花びらのように見えた「それ」が、実は別の感触を持つ何かであるということが判ってくるはずだ。
実はこれ、重晶石という鉱物なのだ。分類は硫酸塩鉱物。実際の薔薇の花以上に重晶石の結晶は柔らかく、欠けやすい。
この薔薇のような形は人工のものではなく、自然の産物なのである。鉱物の天然の造形力恐るべし。フジイキョウコ編著『鉱物アソビの博物学 鉱物見タテ図鑑』は、こうした美しい鉱物の特徴や個性を紹介し、その形のままに愛でるという趣向の楽しい図鑑だ。石を愛でるための演出として、時にはミニチュアの小道具も準備される。一つの情景として石を愛でる趣向なのである。重晶石のあるこの風景は、「薔薇博物画」のタイトルがつけられている。


さまざまな見タテの例をいくつか紹介しておこう。
たとえば「海底水圏」という見タテでは、錐輝石という珪酸塩鉱物が扱われている。この錐輝石は、先端がキリのように鋭く尖った結晶を作る。時にはそれが見事な放射状を形成することもあるのだ。その色は暗緑色が標準で、漆黒、赤褐色となることもある。放射状のトゲトゲで、暗緑、漆黒、赤褐色といった色合いのものといえば。

そう、ウニである。
かくして錐輝石の見タテは、海底にひそむウニのジオラマとなる。

あるいは「流星遊星」の見タテ。ここでは尾を引くほうき星と、ちかちかとフレアを発しているように見える恒星が飾られている。前者はスコレス沸石。幅1ミリほどの細い柱状結晶が長く延び、時には3.5センチに達する。
束ねられたように見える結晶は、ほうき星の尾以外の何物でもない。一方の恒星は、スターマイカである。白雲母の一種で、6角あるいは偽6角の薄い板状結晶が規則的に結合して星形になったものをそう呼ぶのだという。

そしてまた、「霜柱雲」。石英の微細結晶が集まり塊になったものを玉髄と呼ぶ。丸々とした玉髄が集まり、盛り上がったさまは愛らしく、たしかに雲のようである。
宮沢賢治は鉱物を愛し、試作の中で頻繁にそのイメージを借りた作家だった。玉髄は、賢治がもっとも多く作品に引いた鉱物である。

――かういう青く無風の日なか
見掛けはしづかに盛りあげられた
あの玉髄の八雲のなかに
夢幻に人は連れ行かれ
見えない数個の手によって
かゞやくそらにまっさかさまにつるされて
槍でづぶづぶ刺されたり
頭や胸を圧し潰されて
醒めてはげしい病気になると
さうひとびとはいまも信じて恐れます (『春と修羅』第2集より「晴天恣意」)

『鉱物見タテ図鑑』では、新旧さまざまの文学作品からイメージを借りてジオラマのイメージが形作られている。一部の作家・作品名を挙げるならば、日野啓三「石の花」(『夢を走る』所収)、たむらしげる『水晶山脈』、クラフト・エヴィング商會『クラウド・コレクター』、関口尚『あなたの石』、そしてなんといっても長野まゆみ『天体議会』に稲垣足穂『一千一秒物語』。通して読めば鉱物に関するブックガイドになるというのも、本書の魅力の一つだ。これまで鉱物というカテゴリー自体に関心がなかった人も、文学作品から延ばされた補助線を伝っていけば、この世界に抵抗なくなじんでいけるはずである。

これは編著者のフジイキョウコの受け売りになるが、日本には平安の昔から愛石趣味の伝統があり、水墨画や書、盆栽とともに石を飾り愛でる「水石」の文化が発達してきたのだという。単に飾るのではなく、石の形や文様を自然の景色や風物に「見立てる」のだ。言うまでもなくこれは枯山水などの造園文化、盆景などの園芸文化に通じるものである。
かたや西洋には、石の紋様に風物を見る「ガマエ」の文化があった。これは日本の水石とは対象的に、紋様の中にモチーフを見出すものである。
そうした文化的要素の記述と、先に見たような博物学的知識とが混在した形で語られていく。難しいことを考えず、トリヴィアルな知識を楽しむ本として読んでもいいはずだ。

――世界最大の結晶洞窟が、2000年、メキシコ・ナイカ鉱山の地下300メートルの場所で発見された。1本が何十メートルにもおよぶ巨大結晶が100本以上林立し、直径数メートル級の“石の花”が一面に咲く驚異の景観が広がっているという。(「淡水の朝」)

――白雲母の大産地であったロシアでは、なんと永年、窓ガラスとして使っていたとか。(「地界古書」)

――幻想的に光を放つ蛍石は、物語を喚起させる力も強いのかもしれない。ジブリアニメ「天空の城ラピュタ」の飛行石や、稲垣足穂『星を売る店』のショーウィンドーに並ぶ金平糖のような石は蛍石を彷彿とさせる(略)(「天空都市」)

鉱物に思いを馳せたその夜は、きっと結晶のような夢を見ることだろう。
(杉江松恋)