街角で犬を見かけると、友人から「いま、変態の顔してる!」と注意されることがあります。時には「いま顔つきが、幼女趣味の変態がかわいい少女を見つけたときのよう!」ともはや非難めいた口調で指摘されるのです。
もちろんまったくうれしくありません。

でも頭の片隅では、「そう言われても仕方がないのかも」と思ってしまうほど、ぼくは犬が好きです。できれば自分でも犬を飼いたい。でも、ちょいちょい地方出張があったり、たまに海外出張なんてこともある以上、カンタンには飼えない。そんなアンビバレンツに引き裂かれそうになっているとき、目の前に犬が現れると我を失うということなのでしょう。だから犬を飼っている友人宅に遊びに行くときはホクホク顔、吠えられようと構わず寄っていって、ぼくの方から一方的になつきます。


さて先日、ぼくの手元に一冊の本が届きました。タイトルは『豆柴センパイと捨て猫コウハイ』。エッセイストの石黒由紀子さんのフォトエッセイで、以前から飼っていた「センパイ」(♀)という豆柴犬と、今年新たに加わった子猫の「コウハイ」(♂)が石黒家の家族になっていく物語……なんですが、表紙(正確には極太のオビ)の写真がもうズルイ! 豆柴犬のセンパイと猫のコウハイが仲良く肩を寄せ合っている超癒し系ビジュアル。

動物好きにとっては、これだけでハートわしづかみ間違いなし。普段は生身の犬に出会ったときのみ発動する、ぼくの変態モードが一瞬で覚醒してしまいました。さらにズルイのは裏表紙で、やさしい顔で寝ている犬のセンパイのおなかを枕に、猫のコウハイがすやすやとお昼寝中……。
こんな写真を見せられたら、「ああああああああああ!」と声を上げてしまいかねません。書店で出会ったら即レジ行き。なんという販促……、いや反則です。

実は以前、著者の石黒由紀子さんやご主人の謙吾さんにお会いするために、ぼくは何度か事務所やご自宅を訪れたことがあり、生のセンパイにも何度か遊んでもらったことがあります。超フランクな彼女は、初対面から人見知り感ゼロで構ってくれるという、犬好きにはたまらない大歓待で出迎えてくれます。しかも毎回玄関まで足を運んでくれる上に、テスト撮影でモデルをお願いすると、レンズが向けられている間、動かずにビシッとしていてくれる。
なんというホスピタリティ(じーん)。

普段からセンパイは謙吾さんに同行しての自転車通勤でも、リュックやバッグから、ひょいっと顔だけ出して気持ちよさそうに風を感じていますが、本書でもいちいち悶絶するほどのかわいげを発揮しまくります。写真企画「犬猫を運ぶ7つの方法」にはそんな光景もしっかり載録されています。「分類王」の異名を持つ石黒謙吾さんのプロデュース・編集だけあって、そうした遊び心あふれる企画も満載。同じシチュエーションでの、犬と猫の振る舞いの違いを写真で対比させた「犬の場合、猫の場合」など企画ページも含め、約200点の萌えるカットがてんこ盛り!

由紀子さんがつづった文章には、お姉さん豆柴犬と弟クン子猫が時に戸惑いながら、仲良くなっていくまでの過程も描かれています。新しく増えた「家族」と石黒家の人々(+犬)が関係を築いていく、その描写だけでも胸がキュンキュンしてしまいます。


とはいえ、このフォトエッセイはただペットのかわいさだけを取り上げた、「ペットがいる日常」を書いただけのエッセイでもありません。実は新しい家族となった、小さな子猫のコウハイは捨て猫さんだったそう。公園に捨てられていたところ、警察経由で動物愛護センターに収容され、動物の保護活動に携わるペットサロン「ミグノン」に保護されることに。そこから石黒家の一員となるまでが記されたくだりでは、捨て犬、捨て猫にまつわる問題がかたくるしくなく、浮き彫りにされています。

最終章の「ずっと一緒に」まで読み通したところで、ボロボロ泣きました。今年3月の震災で、当たり前の日常がどんなにありがたいものか、著者の由紀子さんが痛切に感じたというくだりは、誰の胸にも心当たりがあるはずです。
いま原稿を書こうと、新幹線のなかで最終章を読み返してまた泣きました。隣のサラリーマンが不審そうにぼくをチラチラ覗きます。でもいいんです。読後にはそんな気恥ずかしさすらも、ありがたいと思えてしまいます。さらりと気持ちよく読めてしまうこの本は「当たり前の日常」のありがたみを再確認させてくれる一冊でもありました。

ちなみについ最近も、石黒謙吾さんからメールを頂きました。
メールには2匹の動画のURLがいくつか貼りつけてありました。「くっついて遊ぶ子猫時代1」「くっついて遊ぶ子猫時代2」「くっついて遊ぶ子猫時代3」「くっついて遊ぶ子猫時代4」「超反復横跳びとビビリ顔」などなど……。その動画に萌えながら、思ったことは……「家族っていいもんなんだなあ」。今年の正月は、実家に顔を出してみることにします。
(松浦達也)