昨年(12年)の大河ドラマ「平清盛」に主演した松山ケンイチが、初の書き下ろし単行本を出版した。

その名は『敗者』


大役・平清盛として過ごした1年間を軸に、俳優・松山ケンイチの面と素顔の松山研一の面、両方のエピソードが日記形式で、たっぷり書かれている。

東日本大震災→大河ドラマ主演決定→結婚→大河撮影開始→第一子誕生→大河撮影の日々→第二子誕生……と、かなり読み応えのある出来事が続く。松山ケンイチは27歳にして、すごく濃密な体験をしていた。

まず、大河ドラマの主演に自ら立候補した、という告白に目を疑う。
松山ケンイチ、果敢である。

本を読み進めていくと、小学校の学芸会でやった映画でも、主役から順番に、役がもらえるまで立候補し続けたことを明かしていて(その時は主役になれず校長先生役に決まった)、子供の頃からガッツのあったことが読み取れる。


松山ケンイチに関しては、平清盛のイメージや、代表作である「デスノート」のLや「デトロイト・メタル・シティ」のクラウザーさんのイメージはあるものの、役の印象が濃すぎて、本人のことはよくわからないという人も多いのではないか。
ところが、この本を読むと、役の濃さに隠れていた松山ケンイチ自身がとっても面白い人なんだな〜と気になってくる。

この手の本は、往々にしてファンのためのものになりがちだが、この本はそうなっていない。本の中で、松山ケンイチがとってもあけすけで、しかもそれがとっても素朴なものだから、親しみが湧いてくるのだ。
ガッツがあるのにガッツ押ししてない。適度な素朴さとふんわり具合が間口を広げている。

その最たる部分が、シモネタがけっこう多いところ。
売れてない時の所在なさを表現するのに、〈ちんこをいじっている時間が長くなった〉と書くところは、文学的ですらある。
ほか、便意に耐えながらトイレを貸してくれるコンビニを探して道を歩き続けたというエピソードはハラハラものだ。
また、旅番組で高校生へのアドバイスに「ゴムをつけなさい」と言ったらカットされていたという経験から、松山は性の大切さを説きはじめる。そこからドラマや映画が完成する過程でカットされる部分があることの是非へと、話題をつなげていく力技の構成も、微笑ましい。

まだまだある。

〈今でもアダルトビデオで興奮するがセックスの勉強にならない〉という告白と主張。〈この人参リンゴジュースは朝飲むとビンビンになる〉という文章のあとに、〈ちんこの事ではない〉と加えるサービス精神。
うんこネタはひとつで良さそうなものに、〈飲み過ぎてうんこ漏らすのだけは絶対嫌だ。〉なんてことをサラッと入れてくるところにも松山の人間性を見る思いだ。
ストレスでお腹を壊しがちなこと、大河のクライマックスで風邪を引いてしまい、それが子供と妻に移り、また自分に返ってきてしまうという、実にほのぼの家族エピソードも楽しめる。

断っておくと、松山ケンイチは、「カメレオン俳優」と呼ばれ、役にハンパなくなりきってしまうことで高く評価される俳優なのだ。

その人が、上記のようなことばかり書いていていいのだろうか?
いや、心配しないでほしい。
これらシモネタやほのぼのネタが、1年間に及ぶ「平清盛」の撮影話の中に、チョコチョコ挿入されていることで、俳優・松山ケンイチの苦闘が一層浮かび上がってくるのだ。
平安時代末期、無頼の平作だった少年時代から、平清盛として平氏棟梁になり、武士としては太政大臣にまで上り詰める63歳までの波瀾万丈な人生を、松山は演じ抜いた。自分で立候補したこととはいえ、それは20代の若者には、かなり大変な挑戦だ。

過度のプレッシャーを背負い、悩みながら、様々な方法を試していくことで、ひとつひとつ山を乗り越えていく松山。
シリアスな闘い(仕事)に疲れた時、子供の笑顔に癒される。
我が子の笑顔から、役の笑顔のヒントを掴むと言う部分では、生活と演技が密接に関わっていることがわかる。
実生活が役のヒントになることもあれば、反対に、平清盛の感情を考えることで、自分になかった発想に気がつくこともある。
〈自分の家族より仕事が大事というのは理解出来ない〉と書いているが、その一方で、演技にものすごく打ち込んでいることもビンビン伝わってくる。
例えば、何度か書かれている「笑顔」のこと。演技において、笑顔が嘘になることは気になるものだ。演技を嘘にしたくない俳優・松山ケンイチの純粋さが飾らない言葉で綴られる。


ところどころフラッシュバックして、「男たちの大和/YAMATO」「カムイ外伝」「GANTZ」「人のセックスを笑うな」「ウルトラミラクルラブストーリー」など、過去に出演した映画のエピソードも入ってくる。
その時の体験が今につながっているという、俳優の仕事に興味のある人にも大変よい参考書になる。

黒澤明、山田洋次監督やなどの映画や、昔の大河ドラマ「新・平家物語」などを見て、三船敏郎や仲代達矢の演技を学んでいることも書いてある。ブルース・リーの演技の話も興味深い。松山ケンイチ、努力家である。
折りにつけ、大河ドラマのスタッフの優秀さにも触れていて、歴史ある大河ドラマの作り方もわかるようにもなっている。
おまけに、章ごとに「平清盛」のあらすじも記され、巻末には「平清盛」ロケ飯リストという岩手、京都、広島と松山がロケの時に食事をした店のリストまでついているという細やかな本だ(編集者の丁寧さが感じられます)。

演技で大事になる「心を開くこと」を、たくさんの経験から学んでいく松山。プライドを捨てて広い心で未知なるものを受け入れることを知ったからこその、シモネタ、ほのぼのネタの開示なのかもしれないと思うと感動的だ。

松山ケンイチが、本名の松山研一になったり、また芸名の松山ケンイチに戻ったり、過去の経験と現在の状況を、行きつ戻りつリンクさせていきながら、最後の最後に〈忘れない〉という言葉を出してきた時には、ハッと胸を掴まれた。

何を〈忘れない〉のかは、読んでみてほしい。
そして今、松山ケンイチが「敗者」という本を書いた意味は何なのか? 「敗者」の指すものは? 読んでる最中もずっと気になるし、読んだ後も長く引きずられます。(木俣冬)