今注目のアプリ、書籍をレビュー

0

福島原発事故から5年。中曽根康弘が描いた「原子力の平和利用」の未来

2016年3月11日 09時50分 ライター情報:近藤正高
《周辺の住民には非常に大きな迷惑をかけた。自分の生活や職業、子どもの将来などまでに影響が出るような事態になったことは、本当に遺憾千万だと思います》
服部龍二『中曽根康弘 「大統領的首相」の軌跡』。中公新書からはこれまでにも国内外の多くの政治家の評伝が出ているが、生前に上梓された中曽根のケースはきわめて異例といえる

《私もこれまで地震災害に対抗できるように対策は注意深く進められてきたと思っていました。住民の将来にまで影響が出る事態に至ったのは遺憾の極みです。今回の事故を教訓に、戦後我々が進めてきたエネルギー政策の転機にしなければなりません》

これらは、2011年3月11日の東日本大震災にともなう福島第一原子力発電所事故を受けての元首相・中曽根康弘(1918年生まれ、首相在任1982~87年)の発言だ。
(前者は服部龍二『中曽根康弘』中公新書、後者は中曽根康弘『青山常運歩 中曽根康弘 対談集』毎日新聞社より引用)

なぜ中曽根がこのような発言をしたのか。それは彼こそ、日本の政界にあって「原子力の平和利用」を積極的に推し進めてきた中心人物だからだ。

中曽根は衆院議員になって4年後の1951年、アメリカから大統領顧問として来日したジョン・ダレスに対し、敗戦後の連合軍占領下の日本では禁止されていた民間航空機の製造および原子力の平和利用を認めるよう訴えた。そしてこれ以後も欧米各国の視察や勉強を続け、日本独立後の54年3月には、原子力研究の調査費として2億3500万円の予算を計上、さらに翌55年12月には議員立法として「原子力基本法」を成立させている。敗戦で欧米との科学技術力の差を痛感した中曽根には、日本が立ち直るためには新しい科学技術、とくに原子力の研究開発に着手せねばならないとの強い思いがあった。

その中曽根が、福島原発の事故に対して率直に反省を述べ、さらには原発の安全基準の徹底的な見直しと代替エネルギー促進への取り組みを主張するようになったのだから、やはりただごとではない。

なお、中曽根は代替エネルギーとして太陽光に注目している。2011年6月の元東大学長で工学者の小宮山宏との対談では、「技術開発を進めることで、2050年ぐらいには原子力に頼らない社会が実現できる見込みだ」との小宮山の発言に、中曽根は《日本は太陽国家、太陽エネルギー国家になれますね》と期待を込めた(前掲、『青山常運歩』)。

大型台風の襲来から科学的な対策を検討


地震災害により原発で事故が起きたことは、政治家としてことあるごとに災害対策を手がけてきた中曽根にとって痛恨事であったに違いない。

1982年11月に中曽根が首相に就任する前月、まだ前任者の鈴木善幸が退陣を表明していない時点で作成された彼の「新政権政策メモ」には、「現場からの政治、まず地震対策」との一項があった。
関連キーワード

ライター情報

近藤正高

ライター。1976年生まれ。エキレビ!では歴史・科学からドラマ・アイドルまで手広く執筆。著書に『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)など。愛知県在住。

URL:Culture Vulture

「福島原発事故から5年。中曽根康弘が描いた「原子力の平和利用」の未来」のコメント一覧 0

コメントするニャ!
※絵文字使えないニャ!