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全日移籍で覚醒したスティーブ・ウイリアムス、流浪のプロレスラー人生「週刊プロレス アルバムシリーズ」

2017年6月2日 10時00分 ライター情報:寺西ジャジューカ
かつて、プロレスファンの間には「全日派」と「新日派」という住み分けがあり、思い返すと筆者は全日派だった。天龍同盟がジャンボ鶴田や輪島大士らを相手に過激でスケールの大きいファイトを仕掛ける“天龍革命”の虜となり、それを契機にプロレスというジャンルに惹かれていったことを覚えている。
その後の全日本プロレスは、天龍がSWS旗揚げのために離脱。ジャンボ鶴田もB型肝炎を発症して第一線から離脱。この危機を救うべく躍進したのは、一世代下にあたる三沢、川田、田上、小橋らであった。いわゆる「四天王プロレス」の確立だ。

あくまで嗜好の違いだが、筆者はこの頃から全日本プロレスと距離を置くようになってしまった。たしかに4人が作り上げたスタイルは究極の域にあり、クオリティとして前人未到。しかしあのガラパゴス化した風景と空気感が、不思議と肌に合わなかったのかもしれない。
そんなこの時期の全日マットの中にも、強烈に記憶に残るシングルマッチが一つだけある。1993年8月31日に行われた「スティーブ・ウイリアムスvs小橋健太」の一戦。この頃から、ウイリアムスは長らく封印していた“デンジャラスバックドロップ”を遂に解禁。「相手によってバックドロップの落とす角度を変える」とはジャンボ鶴田による発言だが、ウイリアムスにも同様の思いはあったのだろう。新日~全日~WJ~IWAジャパンと日本マット界を渡り歩くなか、この時以上の急角度を見せたことはない。試合後に「コバシは一番のライバルだ」とコメントするウイリアムス、そして抱擁し合う二人の姿は24年後の今でも忘れられない。

スティーブ・ウイリアムスが全日マットを選んだ理由


現在発売中『週刊プロレス』(6月14日号)の「週刊プロレス アルバムシリーズ」で、スティーブ・ウイリアムスが特集されている。


どうしても全日時代の印象が強いウイリアムスだが、日本マット初登場は新日本プロレスだった。当時から、スティーブ・ウイリアムスが強いのは誰が見ても明らか。しかし、この時代のウイリアムスにはくすぶっていた印象がある。
新日時代、彼は汚点を残している。1986年10月13日のvsアントニオ猪木戦。序盤、猪木をロープに振ったウイリアムス。勢い良く戻ってきた猪木にスパインバスターを仕掛けた。レフェリーがマットを叩きカウントが進んでいくが、猪木は動けない。へばってしまったのだ。すると、カウント2.5くらいのタイミングでウイリアムスはフォールの体勢を解き、片手で猪木を抱き起こした。

ライター情報

寺西ジャジューカ

1978年生まれ。ブライアン・ジョーンズとビートたけしと前田日明と大江慎也と有吉弘行と篠田麻里子が好きです。ブライアン・ジョーンズと菅井きんと誕生日が一緒。

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