南海キャンディーズ・山里亮太は「僕はいつも自分にこう言い聞かせている」と言う。

自分を「頑張れなくさせるもの」を振り切って、全力で走れ!
そんなものからは、逃げて逃げて逃げまくれ!
そのためのガソリンとして、自分が味わった苦しい感情を全部使え!
嫌いな奴を燃料にして、脳内で圧倒的な勝利を掴め!


自分は天才ではない。
だから人一倍努力しないといけない。自伝的エッセイ『天才はあきらめた』(朝日文庫)には、芸人を志してから現在に至るまで、山里亮太が自分自身と戦ってきた日々が綴られている。
山里亮太『天才はあきらめた』「偽りの天才」が吐露した南海キャンディーズの始まりの終わり
山里亮太『天才はあきらめた』(朝日文庫)。2006年に出版された『天才になりたい』(朝日新書)を改題し、大幅に加筆・修正を行った

「偽りの天才」と「張りぼての自信」


南海キャンディーズ結成にいたるまで、山里亮太は2度コンビを解散している。お笑いに対するストイックさが度を超しており、苛立ちを相方にぶつけていたのが原因だった。このストイックさの根底には「自分は天才ではない」という自覚がある。いたって普通の人間で、根性もないし、すぐサボってしまう。だからこそ「武装」が必要だった。


「自分は天才じゃない」という自覚を強制的に消して、すごいところを目指さなくちゃいけなかった。「あいつのは才能がない」と誰にもバレないように、天才が自然にしていることをやり遂げる必要があった。(P.16)

芸人を目指すにあたり、まず退路を断った。大阪のよしもとに入るため、地元千葉から関西大学に進学。学生寮で「自分は芸人になるためにここに来た」と宣言し、寮生全員に見送られながら養成所(NSC)に入学する。簡単に辞めるわけにはいかない。


しかし、同期にはキングコングがいた。19歳という若さでNSC在学中に賞を獲るという快進撃に、講師も「今年はキングコングが出たからええやん」と漏らすほど。ふざけるな!とネタを書きまくった。好きな芸人のネタを書き起こし、爆笑問題やダウンタウンに自分が笑ったところで「今なんでおもしろいと思ったか」をノートに書く。毎日講師にネタを見せ、ダメ出しはその日のうちに反映。できない相方を何度も叱った(これが原因で解散に)

ここまで頑張る自分は天才だなと「偽りの天才」を作り込み、少しでも褒められたら「張りぼての自信」を固めていく。
嫌な目に遭ったら「地獄ノート」に復讐の言葉を綴りエネルギーにする。

まるで鬼コーチと生徒が一つ屋根の下で同居しているようだ。サボったりクヨクヨしようになる自分を客観視し、褒めたり焚き付けたりして前に進ませる。その様子もしっかりと言語化している。


「できないという言葉は、しんどい作業から逃げる簡単で恐ろしい言葉だ」
「逃げるという選択肢を思いつかないくらい努力する」
「モチベーションが下がっている状態が通常なんだから、常として頑張らないといけない」


何度も何度もセルフコントロールのムチが打たれる。ここまで自分を律するのは、逆に天才ではと思うほどに。


客席を笑わせる≠自分が楽しい


目が血走るほどの努力の一方で、当時は「正直、おもしろいものを創ることがわからなかった」という。ネタ作りはパターンを当てはめる作業になり、自分でも楽しくなかったが「仕事なんだから楽しくなくて当たり前」と思っていた。

その考えが崩れるのが、笑い飯と千鳥との出会いだった。そのおもしろさに敗北感を覚えるも、すぐに行動のエネルギーに変えて酒席を設ける。どうしたらあんなネタができるのか、という直球の質問に、2組の答えは一致した。「自分が客席にいたとして、その自分が見て笑うものをやっているだけ」

当たり前というテンションで出されたその答えは、僕にとっては衝撃的だった。僕が考えているものには、いつだって自分はいなかった。
お客さんは何を言ったら笑うのかばかり考えていた。(P.144)


同じ話を、山里亮太は『ボクらの時代』(2018年1月7日放送)で語っている。山里&父親&母親という異例の3人によるお正月SP。親孝行の話題から「こうやれば喜んでもらえるってのは、ずっとちっちゃいころから考えるようになってたの。人の顔色見てさ」と言う。

たぶん、昔から人に褒められるのをゴールに設定してるせいなんだよね。
ホントに面白い人達って、そんなの関係なく自分のやりたいこと、面白いことを突き抜けてやってるから天才って言われるわけで、そこがちょっと今、こう……頭打ちというか……


「自分が楽しいこと」と「客が笑うこと」は必ずしもイコールではない。自分が楽しいことに没頭するほど、自分は天才ではない。

だが、『ボクらの時代』放送から1ヶ月後。「楽しさ」が突き抜ける瞬間が南海キャンディーズに訪れる。結成15年目にして始めて行われた単独ライブ『他力本願』だ。

南海キャンディーズの始まりの終わり


南海キャンディーズは『M-1グランプリ2004』で全国的なブレイクを果たす。だが、慣れないテレビの仕事に空回りする日々が続いた。しずちゃんとのコンビ仲は冷え切り、嫉妬からゲスい行動もたびたび繰り返した(詳細については本書をお確かめください。映画『フラガール』のオファーを陰で蹴ろうとしたりしています)

だがゆっくりと、ゆっくりと雪解けが進み、2015年からはM-1グランプリに再挑戦を果たす。この時もラジオでM-1再挑戦を宣言し、自ら退路を断った。そして2018年2月、満を持して行われた単独ライブ『他力本願』。
山里亮太『天才はあきらめた』「偽りの天才」が吐露した南海キャンディーズの始まりの終わり
『南海キャンディーズ初単独ライブ「他力本願」』(よしもとミュージックエンタテインメント)

最もコンビの距離が近づく作業。それが単独ライブだ。今までの僕らなら無理だった。けれど戦いの場を求め続ける相方。そして、自分の足元をもっと確認しなくてはいけないと思った僕の気持ちがここでようやく重なった。(P.230)

別のインタビューで、山里亮太は単独ライブを「楽しかった」と振り返っている。

俺はこれだけ楽しいけど、みんなにこの楽しさちゃんと伝わってるだろうかって不安になるくらい楽しかったです。こんな楽しく漫才できる日が来るんだな、単独って大事だな、と思うようなライブでした。南海キャンディーズがたどり着いた楽園「単独ライブ」こんなに楽しく漫才できる日が来るなんて - エキレビ!

「偽りの天才」を作ることに必死だった山里亮太が、「自分が楽しいことをやる」の領域にたどり着いた。天才への道にまた一歩近づいたと共に、南海キャンディーズは始まりの終わりを告げた。

『天才はあきらめた』というタイトルは決してネガティブなものではない。「山里亮太 第1章」であると同時に「南海キャンディーズ 第1章」の記録でもある。今日も山里亮太は、新たな怒りをガソリンにして走り続けている。盟友・オードリー若林が寄せた解説も是非読んでほしい。
(井上マサキ)