連続テレビ小説「あさが来た」(NHK 月〜土 朝8時〜)2月13日(土)放送。第19週「みかんの季節」第114話より。
原案:古川智映子 脚本:大森美香 演出:中野亮平
流行りの清貧男の正体は「あさが来た」114話
イラスト/小西りえこ

114話はこんな話


汚い着物の男・成澤泉(瀬戸康史)は、あさ(波瑠)に、日本初の女子大学設立への賛同を求め、彼が書いた教育論を手渡す。

教育論を読んで涙するあさ


「私なんて 母が 自分の無教養の口惜しさを 娘で晴らしてるだけですもの!」
千代(小芝風花)の傑作台詞!
こんな冗談を交えながら、田村宜(吉岡里帆)と楽しく語らうに千代に、京都にやってきた新次郎(玉木宏)が胸をなでおろす。
しかし、こんな秀逸なセリフの場面は、大阪から新次郎をいなくさせる作者の都合に過ぎないとは言い過ぎか。
大阪では、あさが、成澤泉(瀬戸康史)とガッツリ語り合わないとはならないが、新次郎がいると助けに入ってしまうから。
でも、新次郎も単に事情で京都に行かされるのでは主人公の相手役としての立場がないので、千代にあさのことを素敵な台詞でフォローするのだった。
千代がよの(風吹ジュン)の張り子で隠していた親子写真を見つける新次郎は、グッジョブ。

さて、新次郎不在の間、金田一耕助みたいにエキセントリックな成澤に強引に話し合いの場をもたされたあさは、彼の異常なまでの熱弁に、「つまりあんさんはこう 働くおなごをこっそりと見るのが好きいう事だすか?」とびびる。

そしてまた、銀行コントふうに、外で心配して見てる平十郎(辻村茂雄)と「何如」「奇人」と筆談。
ついにあさは、成澤相手に久々に投げ技を披露する。三つ子の魂百までというところか。
倒れた成澤を見ながら、よのたちは、「今流行の清貧」ではないかとどよめく。
「清貧」とは、必要以上に富を求めず、質素に、清く正しく美しく生きること。
「清貧」なる生活描写に関しては、明治生まれの林芙美子や太宰治が、それぞれ「清貧の書」、「清貧譚」を書いている。
どちらも青空文庫で読めるので、これを機会にちょっとした教養のために読んでみるのもいいだろう。

かつてキレイな妻と食事をしていた頃は、清貧には見えなかったが、今や清貧ふうになっている成澤が、あさに言う「女子の責任を重くして活発ならしめ その快楽を大きくし 日本婦人を鎖から解き放つべきだとは思わないのですか」も傑作台詞。
あさが涙した教育論も、こんなふうに気持ちを高揚させる言葉に溢れていたにちがいない。
成澤のモデルは、日本女子大学の創設者・成瀬仁蔵。日本女子大学のホームページによると、その著書「女子教育」には、「第一に女子を人として教育すること、第二に女子を婦人として教育すること、第三に女子を国民として教育すること」と書いてある。
キリスト教を信仰していた成瀬(「聖書をもつ青年」と呼ばれていたとホームページに書いてあり、なにやら素敵な響き)には、清貧の思想があったのかもしれない。


またしても独身の風変わりな男・成澤泉の登場で、あさに新たな展開がはじまる20週も見逃せない。
(木俣冬)

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