第11週「われても末に」第64回 12月14日(木)放送より。
脚本:吉田智子 演出:保坂慶太
64話はこんな話
てん(葵わかな)は団吾(波岡一喜)から、笑いの鮮度に対する考えを聞く。
芸人四銃士
心を入れ替えたアサリ(前野朋哉)、キース(大野拓朗)、万丈目(藤井隆)、岩さん(岡大介)の四人は「芸人四銃士」と名乗って、トレーニング及び、新たな芸の模索をはじめる。
「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」とお互い、力を合わせて。
アサリとキースは音曲漫才をやろうという流れから、肉体をめいっぱい使った、どつき漫才へと発展。
どつく音の大きさで勝負しようと道具を試行錯誤。これが、のちのハリセン漫才になっていくってことだろう。
万丈目だけは、歌子(枝元萌)に励まされ、後ろ面を極め続けることにする。
後ろ面が好きなんだという藤井隆の表情がとてもあたたかくていい。
その頃、団真(北村有起哉)もひとりで「崇徳院」の稽古をしている。
夕(中村ゆり)に落語はもうやらないって言っていたのは、全然嘘だったのは、扇子を持ち続けていたことから、わかってた。
団吾のイメージが覆された。
てんが、夕を訊ねて、団吾の別宅にやって来ると、団吾は花を生けていた。
花の前に座った団吾は、これまでの芸者をはべらし金をばらまく野蛮で下品な印象とは全然違って、すっとしている。「花は憎むことからはじめよ」なんて哲学的なことを言う。
花の命は短い。それと同じで、「噺家は 命削って、おもろいことやり続けなあかんのや」
「たくさんの人に笑ってもらうためなら何もかも犠牲にしたってかまわない」と団吾は考えていた。
その話にてんは「こわいくらいに落語への思いがある人だった」と心打たれる。
ものすごくかっこいい人みたいになってきた団吾だが、彼の芸がまったく出てこないので、期待値だけが上がってしまう。いったいどんなすごい落語をやる人なのか。
見せないまま終わる作戦だろうか、もしかして。
言いたかないけど、お嬢様育ちのせいか、てんは、ちょっといいこと言われると感動しちゃう、騙されやすいタイプだと思う。
信頼するのは、団吾の芸を見てからにして。
夕がどんどん悪女化
夕と団真が駆け落ちしてから「芸人はありきたりの幸せなんか手に入れたらあかん」と思うようになったという団吾。…
確かに、3ヶ条は、とと姉ちゃん、みたいですね。
藤吉がほとんど登場しないとドラマが締まりますね。
「芸人はありきたりの幸せなんか手に入れたらあかん」なのに「お夕はわしのもんや」なの? お夕さんは魔性の女→手に入れることでむしろ幸せから遠のく→だから芸人の妻としてアリということ?