連続テレビ小説「わろてんか」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第16週「笑いの新時代」第91回 1月20日(土)放送より。 
脚本:吉田智子 演出:川野秀昭
「わろてんか」91話。落語回にハズレなしの神回(「死神」だけど)
イラスト/まつもとりえこ

連続朝ドラレビュー 「わろてんか」91話はこんな話


団吾(波岡一喜)がラジオで落語を披露。興味をもった新しい客が、翌日寄席に押し掛けた。


落語第三弾


「笑いの歴史のとんでもない瞬間を味わったのかもしれない」(藤吉)

団吾は落語「死神」をやる。主人公の名まえを「藤吉」にして。そこに、彼の思いがこもっている。
そして、これは東京の落語で、団吾はいつの間にか、東京の落語も会得していたと、藤吉も、東京から帰ってきたばかりの万丈目(藤井隆)も感心する。

しかも、団吾は、声しか聞こえないラジオで、ちゃんと着物着て、ろうそく立てて、死ぬときはバタリと倒れて・・・と演じてみせる。ろうそくが消えた瞬間が、声だけで十分伝わってくると、万丈目たちを驚嘆させるのだ。

団吾の天才的な落語によって、生で落語が見たいという観客が寄席に押し寄せる。

いいものはその目で見たいと思うもの。どんなに記録媒体が発達しても、生は原点。原点は何ものにも負けないのだ。

「時うどん」の文鳥(笹野高史)、「崇徳院」の団真(北村有起哉)、「死神」の団吾と、落語回はハズレなし。

命について


団吾は64話で、花を生けながら、花の命は短い、それと同じで笑いも鮮度が大事というようなことを言う。
91話でも、命は短いものだから、いかに生きるかについて、団吾は説いた。

脚本家の吉田智子師匠は、日本アカデミー賞優秀脚本賞をとった「君の膵臓を食べたい」(DVDブルーレイ発売中)でも、儚い命だからこそ、今を全力で生きることを書いている。
もっとも、これは原作の力が大きい。膵臓の病で余命いくばくもない少女が出てくる、いわゆる難病ものながら、少女と主人公の別れを、こう書くかというアイデア一本で勝負し、従来の難病ものと一線を画した。そのアイデアは飛び道具のようでありながら、命の本質的なとこを突いていて、それこそがヒットの要因のひとつであろう。
「わろてんか」91話は、この脚本を書いた吉田師匠だからこそ書ける、「命」を惜しむドラマだった。

ついに風太とトキが


団吾に出し抜かれた風太(濱田岳)。ラジオから流れてきた落語も良くて、自分の負けを認めざるを得ない。
しょげる風太に寄り添うおトキ(徳永えり)に、風太はついにプロポーズする。

濱田岳が、ここのところずっと、喧々と耳障りにわめき続けていたのは、俺って実は弱い男なんだよというギャップを出すためだったのだろう。ちょっと計算が先に立ち過ぎだったかなあ〜という気もしないではないが、ふたりの長い春のおわりに免じて許す(何様・・・)。

風太が結婚の条件をつけるところが、さだまさしの「関白宣言」のようだったが、拙著」「みんなの朝ドラでも「関白宣言」を引用して朝ドラにおける夫婦像について考察したところがあり、是非はともかく、120万以上のミリオンセラーは日本人に大きな影響を及ぼしていると確信する。

ともあれ、風太とトキよ、お幸せに。

松坂桃李への深読み


そうそう、もうひとつ。
落語「死神」ではろうそくが震えると火(命)が消えるというくだりがある。

松坂桃李は、ろうそくのように、声を震わせていたのだったら、すごすぎる。
(木俣冬)