連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第7週「謝りたい!」第37回5月14日(月)放送より。 
脚本:北川悦吏子 演出:土井祥平

37話はこんな話


カリスマ漫画家・秋風羽織(豊川悦司)に雇われて東京にでてきた鈴愛(永野芽郁)だったが、メシアシ(炭水化物要員)として呼ばれただけで、漫画修業ができるわけではないことにショックを受け、生原稿を窓からばらまくと脅すことでついに漫画に関する課題を得る。はじめての漫画作業・・・それは「カケアミ」だった。


衝撃「セクハラされたと訴える」


窓から生原稿をばらまこうとするどころか、「セクハラされたと訴える」とまで言う鈴愛。
鈴愛がつかった「セクハラ」は2018年現在、話題沸騰のワード。89年に「セクシャルハラスメント」が新語・流行語大賞をとっているので、鈴愛が使ってもおかしくない。
朝ドラ、ヒロインが「セクハラ」という言葉を使ってまでも、自分の自由に生きる権利を行使しようとするのは、80〜90年代を生きるヒロインのドラマらしいし、2018年の現在、なおもそれが課題になっていることが興味深い。

ところで、>「みんなの朝ドラ」で、00年代に朝ドラが視聴率的に低迷したのは、85年の男女雇用機会均等法施行以降の女性のライフスタイルの変化であることについて書いた。
朝の支度をしながらドラマを見る専業主婦が減り、外に仕事に出ていったため、結婚、子育てを描く朝ドラにでは物足りなくなっていったこと、そのため、働く女性ほか新しい女性像をいろいろ描くトライはしたものの、つくりが90年代以降盛り上がっていた民放のドラマには及ばず弾けず、魅力に乏しかったのではないかと考察した。

それが10年「ゲゲゲの女房」で放送時間帯の繰り上げ、11年「カーネーション」で新しい作風のトライ、13年「あまちゃん」でさらなるトライを行ったことで、次第に、ドラマ好きの気持ちが朝ドラに向いてきた。

00年代よりは受け付けられる土壌はできたところで、90年代最も民放ドラマがキラキラしていた時代の寵児・北川悦吏子が満を持して朝ドラを書き、ゴールデンタイムのドラマやバラエティーのノリを自由にやっている点において、朝ドラとして革命的かもしれない。

いつもそっと抱きしめて生きてる


「なにがあっても
すべて
あの時のときめきから
はじまっていることを
忘れるものか」
という「いつもポケットにショパン」(秋葉が書いた設定。ほんとはくらもちふさこの作品)の中の麻子のモノローグを引用し、
「私は先生の台詞を、先生の漫画を、先生の世界を、いつもそっと抱きしめて生きてる」と訴える。

鈴愛に限らず、きっと誰もに、いつもそっと抱きしめている大切なものがある。
そこで、37話における、00年代以降、ドラマ好きのひとりとして「いつもそっと抱きしめて生きてる」人気ドラマを思わせる箇所を挙げておこう。
「半分、青い。」37話。鈴愛は傍若無人だが、サブタイトルであらかじめ謝っている
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「嘘には嘘で太刀打つ、真実なんてどうでもいい」
鈴愛のこの台詞は、現在、月9で「コンフィデンスマンJP」が放送中の古沢良太脚本「リーガル・ハイ」の古美門か、と思った。2010年代のドラマで続編も作られるほど人気を博したこのドラマ、主人公の敏腕弁護士・古美門(堺雅人)は、事件の真実を追求したい新人弁護士・黛(新垣結衣)に対して、真実なんてどうでもいい、仕事を全うするだけという考え方の人物として描かれていた。

ちなみに、古美門は黛のことを「朝ドラのヒロインのようだ」とからかったことがある。この「朝ドラのヒロインのようだ」という台詞に関して、拙著>「みんなの朝ドラ」では、古沢良太のインタビューを行い、「朝ドラのヒロインとは」および「“朝ドラのヒロイン”という存在が10年代には世間的に一般化され、笑いにも使われるほどの共通言語なっている」ことについて書いた。ご興味ある方はご一読いただきたい。

「聞こう」「雇われたのか」「待て」
目上の人に対してもこんな乱暴な言い方をする鈴愛には既視感があった。「トリック」の山田奈緒子(仲間由紀恵)みたいなのだ。「トリック」とは00年代にはじまったミステリー。

貧乏なマジシャン・山田が、プライドの高い大学教授上田(阿部寛)とコンビを組んで事件を解決していくもので長期にわたってシリーズ化された。脚本は主に蒔田光治。
主人公の山田は時代劇が好きで、時代劇の武士口調になっているというナットク理由があったが、鈴愛もそうなのだろうか。「了解いたした」はまさに時代劇ふう。そういえば、山田も亀を飼っていたっけ。
「半分、青い。」37話。鈴愛は傍若無人だが、サブタイトルであらかじめ謝っている
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北川悦吏子は、こういうものに食いつく、ドラマの世界や台詞を「いつもそっと抱きしめて生きてる」ドラマ好きを意識して書いている戦略家な作家だと思う。

北川悦吏子のドラマや世界や台詞を「いつもそっと抱きしめて生きてる」人もたくさんいるだろう。

37話 メモ


◯秋風は、鈴愛のことを、いなくなったアシスタントの「つなぎ」「ハンバーグのパン粉」「おまえはまさに炭水化物要員」と容赦ない。
これは過去、個性的なバイプレーヤーたちに囲まれ、狂言回し的におとなしく収まっていた主人公たちのことを暗に言っていて、鈴愛はそういう子ではない、中心で暴れまわるという作り手の宣言だろうか。

◯「卵を潰したのは先生や」「わたしは帰らん 帰るわけにはいかん」「私は才能がある」と主張する鈴愛に、
「こんな小さな紙が世界のすべてだ。壊れるぞ おまえにその覚悟があるのか」と秋風は問う。
想像するに、鈴愛は、ゆくゆくは、この小さな紙の枠線のなかの世界からもっと広い世界に飛び立っていってしまうんだろう。


◯カケアミで囲まれた画面かわいい。

◯「原稿は神様のもの」
「ひとのいいかわいいだけのゲイと思わないで」(ボクテ〈志尊淳〉)

◯イケメン律(佐藤健)と正人(中村倫也)がふたりぶらぶらとたわいない会話して東京の街を歩く。

◯律が正人に連れていかれた〈喫茶おもかげ 〉は〈喫茶ともしび〉に外見は似ていた。でも中身は違っておしゃれだった。そこには秋風がいた。

終わりに。

鈴愛の行動があまりに型破りで、そういう言動に免疫がなく困惑している視聴者もいると思うが、サブタイトルが「謝りたい!」と最初から謝っているので、水に流そうではありませんか。
(木俣冬)