連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第15週「すがりたい!」第87回 7月11日(水)放送より。 
脚本:北川悦吏子 演出:橋爪紳一朗

87話はこんな話


運動会の日は雨だった。
この日、涼次(間宮祥太朗)は100ショップ大納言のお手伝いの最終日、鈴愛(永野芽郁)は閉店後、事務所で打ち上げしようと誘う。


田辺店長はなんなのか


書き入れ時にもかかわらず美女とどこかに行ってしまった店長・田辺(嶋田久作)は戻って来たものの、ごめんなさいと言う勇気がなく店の前で引き返してしまった。
この人がいなくならないと、店内で鈴愛と涼次がふたりきりになれないから仕方ない、そんな役割に嶋田久作を配したことによりへんな存在感が増していて、ただの機能キャラ(作劇をうまく転がすために存在するキャラ)に収まらないところは成功していると思う。俳優とはどんな状況でも自分の役に命を吹き込み、存在証明をしてみせる仕事なのだ。

まわれ万華鏡


86話で、東雲さん(大方斐紗子)が孫にあげたい、丸くてくるくるしてキラキラするものを買いに来たがそれが何なのかわからなかった。ふと涼次は「万華鏡」ではないかと気づく。そこに東雲さんがまたやってきて、涼次は手作り万華鏡に挑む。
なんとか作り上げた万華鏡をのぞいた鈴愛は私にもつくってほしいとねだる。

事務所に置かれた田辺のギターを爪弾く涼次。

この時代のヒット曲(テレビドラマの主題曲)を弾く。
月9「東京ラブストーリー」(91年)の「ラブストーリーは突然に」(小田和正)と、
火サス(火曜サスペンス劇場)のジングルと、
月9「ロングバケーション」(96年)の挿入歌「sobani iteyo」(CAGNET)が登場した。

だが、鈴愛は「sobani iteyo」を知らない。ロンバケが流行っていたとき、漫画ばかり描いていたから。
ン〜でも漫画を終日描いているような生活だったらテレビやラジオが必需品な気がするけれど(現代ではSNSで漫画家さんがドラマをいっぱい見てつぶやいているし)、ひとそれぞれ、鈴愛はそうじゃなかったということで収めたい。

「sobani iteyo」の曲に合わせて、鈴愛は万華鏡をまわす。

さみしいひとを慰める歌に鈴愛は癒やされる。
自分にはなにもない、漫画をやめてから明日が見えなくなった、他人の近況が雑音に聞こえてしまうと嘆く鈴愛に涼次は「大丈夫ですよ。うん。今まで頑張ったんだから 少し後ろ振り返ったり、休んでいいんじゃないですか。 大丈夫 必ずまた歩き出します」と励ます。やっぱり“ビューネくん”だ(86話のレビューご参照ください)。


長いお休み


さて。「sobani iteyo」が挿入歌になっている、北川悦吏子の代表作「ロングバケーション」は、主人公(山口智子)は結婚式当日に相手に逃げられ、モデルの仕事も行き詰まっていて、でもその何もない時間を「神様のくれたお休み」と捉えるというお話。
ロンバケ2話で瀬名(木村拓哉)がこう言っている。

「俺さ、いつも走る必要ないと思うんだよね。ほら、あるじゃん、何をやってもうまくいかないとき、何をやってもダメなとき。ね。そういう時は、何ていうのかな、言い方変だけど、神様がくれたお休みだと思ってさ、無理に走らない。
焦らない。頑張らない。自然に身をゆだねる」(木村拓哉の「ね」とか「さ」とか言う響きが良いのだ)

先日、スポニチアネックスの記事で私は、「半分、青い。」は3ヶ月かけて「ロンバケ」の第1話に至るまでの話を描いたもののようだと書いたが、87話を見て、その視点は間違いではなかったと確信した。

戦後、高度成長期、バブルと日本人は全力で前を向いていたが、バブル崩壊で急速に元気がなくなってしまった時代、「大丈夫ですよ。うん。今まで頑張ったんだから 少し後ろ振り返ったり、休んでいいんじゃないですか。
大丈夫 必ずまた歩き出します」と誰もが言われたかったのだと思う(いまなお日本は休んでる気がするが)。

「半分、青い。」の後半戦は、鈴愛がすこしずつ歩き出していくお話なのだろう。ちょうどあと3ヶ月あるので、民放の連ドラの放送スパンと同じになる。連ドラワンクール分と考えたら、それを長らく書いてきた北川悦吏子は生き生きと描けるんではないか。

雨に唄えばSing'In In The Rain


店を出て、雨の降る軒先で鈴愛は律の思い出を語る。
律は「両側に雨の降るのってどんな感じ?」と聞いたら「傘に落ちる雨の音なんてそんなに素敵じゃないから片方くらいでちょうどいいよ」と言った。
涼次はそれを素敵な人と言ったうえで、「傘差したら 片方だけど ここにこうして空の下に立てば 両方雨降ります ぼくと一緒に雨に打たれませんか」と誘う。
満面の笑顔で。
ふたりは雨のなか名作ミュージカルナンバー「雨に唄えば」を踊る。
「ラ・ラ・ランド」のヒット以来、ミュージカル調の場面がドラマに増えた。そう思うと「てるてる家族」(03年)は早すぎたと惜しまれる。当時は斬新過ぎると思われていたようだが、いまやっていたら大人気だったのではないか。
ちなみに「ロンバケ」の主題歌は久保田利伸の「LA・LA・LA LOVE SONG」。
それはさておき、律は頭(理屈)のひとで、涼次はカラダのひと。鈴愛は、カラダで、両方に雨が降っていることを感じる。
そして、涼次は再び(レジで一回抱きしめている)鈴愛を抱きしめ「好きです」と言う。
律もこうやって抱きしめることができればよかったのに。
「半分、青い。」87話「今まで頑張ったんだから 少し後ろ振り返ったり、休んでいいんじゃないですか」
「ロング・バケーション オリジナル・サウンドトラック」ユニバーサル ミュージック

雨を感じた鈴愛はヘレン・ケラーか


ここで思い出すのが、「かたつむり」だ。
涼次が登場した82話で、先輩の元住吉が撮った「追憶のかたつむり」を見ながら、その視点についてふたりは語り合っていた。かたつむりの目は触覚の先にあり、だから視点が上下に動くと涼次は言っている。伸びた触覚は後ろにも動くのではないか。かたつむりの目の可動域は広いが、人間の目は、ある程度眼球は動くとは言え固定されている。かたつむりの視野に気づいた涼次が「僕たち前にしか目ついてないんで、視界の開けるほうに歩き出します」と人間の視野に言及することには説得力がある。

かたつむりの視覚はそれほど優れてはいなくて、光を感じる程度で、他者(物体)を意識するのはそれに触ったときだとか。
鈴愛は、涼次のアイデアで、聴覚で捉えることのできない雨(音)をカラダで感じることができた。
まるでヘレン・ケラーがWATERの概念をカラダで理解する場面のようだ。鈴愛の言動が粗暴なのもヘレン・ケラーのようと言えばそう思える。
彼女を導くサリバン先生的な人物がまさか涼次だったとは驚く。しかも、瀬名の名台詞的なことも彼が言うなんて(律とはなんだったのか・・・涙)。

今日の、ぐるぐる


84話のレビューで、40話に引き続き「半分、青い。」はグルグル回るもの(ゾートロープ、拷問器械、グルグル定規、かたつむり等)をモチーフとして使っていると書いたが、87話には「万華鏡」が登場した。
ちなみに「ロンバケ」のタイトルロゴもぐるぐるしたマークがあしらわれている。
これだけ作家の過去作を想起させる事柄がしょっちゅう登場するのは、明言はされてはいないが、橋田壽賀子の「春よ、来い」(94年)、大石静の「オードリー」(00年)のような脚本家の自叙伝的な作品であると考えたほうがすっきりするだろう。だが本人の実人生ではなく、本人のこれまで書いた作品を使ったドラマだ。ヒットソングを使った朝ドラマは「てるてる家族」や「あまちゃん」(13年)があるが、往年のヒットドラマを使ったドラマ、これは新しいかもしれない。ノリとしてはディズニーの過去作をふんだんに出した「魔法にかけられて」(07年)が近いだろうか。
(木俣冬)