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『高橋名人のゲーム35年史』11億とんで376万連射のゲーム愛を応援する

2018年7月13日 09時45分 ライター情報:とみさわ昭仁
「それは唐突に訪れました」

1985年の3月下旬。銀座の松坂屋で「コロコロまんがまつり」という催し物がおこなわれた。のちに「次世代ワールドホビーフェア」と称されることになるイベントの原型だ。

小学館『コロコロコミック』で連載をもつ漫画家のサイン会や、原画の展示をメインとするものだったが、子供たちのあいだでファミコンの人気が高まってきていることを受け、ゲームのステージをやってみたらどうか? との提案が、編集部からゲームメーカーであるハドソンへ持ち込まれた。

ハドソンの企画宣伝部に勤めていた高橋利幸は、上司から「高橋、1時間もらったから!」と言われた。何をすればいいのだろう。予算はない。モニターだけは用意してくれるという。ならば、ファミコンがあればなんとかなるだろう。

当時、ハドソンが売り出していたゲームソフトは『チャンピオンシップロードランナー』だった。ステージではこれを宣伝することになる。後日、『コロコロコミック』に予告記事が載った。そこには「ファミコンの名人来たる!」とあった。

ステージでは、ハドソンの宣伝部員である高橋がデモプレイをしてみせなければならない。ステージ1はうまくいった。しかし、ステージ10まできたところで3回連続の失敗。4回目でかろうじて成功した。会場からは拍手と歓声が沸いた。

ステージ10以降は、遊びたいステージをセレクトするためにパスワードが必要になる。パスワードは暗記しているが、これを入力する様子を観客には見せたくなかった。そこで高橋は、コントローラーを後ろ手で隠してパスワードを入力した。その瞬間、会場がどよめいた。

「今、振り返ると、そういうことだったのだと思います」

16連射というわかりやすい必殺技が高橋名人を生んだと思われがちだが、それ以前に、こうしたトリッキーなプレイを自然にこなしてしまうのが彼の魅力でもあった。イベント終了後には、200人を超えるサインの行列ができた。高橋利幸が高橋名人になった瞬間だ。

高橋名人が語りおろした、自身の半世紀


いきなり始まったサイン会だが、ただのサラリーマンにサインなどあるはずもない。仕方なく、最初の50人くらいは漢字で本名の「高橋利幸」と書いていたが、画数が多いため、途中から「Toshiyuki Takahashi」に変えた。やがてそれを「T.Takahashi」にして、さらなる節約を図った。

その後、高橋名人は全国キャラバンで日本中をまわるうち、子供たちの人気者になっていく。

ライター情報

とみさわ昭仁

1961年生まれ。ゲーム開発、映画評論、コレクター研究、古本屋店主、スカジャン制作、DJなど。神保町特殊古書店マニタ書房は、不定休で週のうち半分くらい営業。

URL:akihito tomisawa index

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