「学生の機会は均等であるべき」の理念のもと、スマートフォンを使い、必要な時に必要な教育を受けられるサービス「スマホ家庭教師manabo」を展開するマナボ。講師(チューター)として登録しているのは、東京大学や一橋大学などの難関大学の学生3,000人超。
Z会、栄光ゼミナール、駿台、トモノカイとも提携をしている。
スマートフォンがあればいつでもどこでも講師に質問できるという魅力的なサービスだが、この内容について、同社の小林佳徳 執行役員事業統括部長に話を聞いた。
スマホでいつでも勉強を教えてもらえる「manabo」 講師も自由に働ける高効率な教育サービス
マナボ執行役員事業統括部長の小林佳徳氏


生徒にとっても講師にとっても効率の良いサービス


――あらためて「スマホ家庭教師manabo」の具体的なサービス内容を教えてください。
小林 アプリ「スマホ家庭教師manabo」をもとに、全国各地の生徒がスマートフォンでいつでも安価に優秀な講師の指導を受けられる機会を提供しています(税抜2,480円/月 から)。
今は高校生のほとんどがスマートフォンを保有しているので、アプリを立ち上げるだけでサービスが受けられるという敷居の低さが特徴のひとつです。いつでも利用でき、わからない問題があった時にネット上にいる講師に質問をし、双方向で聞くことができます。これが最大の特徴です。

生徒がスマートフォンを使って自宅や塾などで質問し、講師はパソコンを使って自宅や大学から回答します。
個別指導塾のようにずっと講師が生徒に寄り添うわけではなく、必要な時だけ個別指導を受けるサービスです。
2017年9月現在で、累計質問数は約16万問、講師は東京大学や一橋大学などの難関大学の学生約3,000人が登録しております。
講師も働きたいときに働く自由な環境で生徒の質問を答えておりますので、効率も良いです。

指導が終わった後は、生徒が5段階方式で講師を評価します。生徒も教えてもらいたい講師を選択する時は、この5段階評価や講師のプロフィールを見て、判断します。

アプリの延べダウンロード数は、約10万です。おかげさまでさまざまな塾の利用が増えています。
スマホでいつでも勉強を教えてもらえる「manabo」 講師も自由に働ける高効率な教育サービス

――数式を解説する場合は、やはりスマートフォンだと難しいでしょうか。
小林 そうですね。講師側はパソコンで指導しています。一時期、スマートフォンでの回答も行っていたのですが、生徒側から、「わかりにくい」という声もありましたので、今は、パソコンでの指導に統一しています。



「学習の機会は均等にあるべき」という理念から生まれる


――このようなサービスを始めたきっかけは何だったのでしょうか?
小林 佳徳(以下、小林) マナボの代表取締役社長である三橋克仁が東京大学大学院在学中にこのビジネスを思いつきました。創業は2012年4月です。大学院在学中、就職活動もしていたのですが、就職せずそのまま起業したのがはじまりです。
三橋も苦学生でしたので、「学習の機会は均等にあるべきだ」という信念があり、大学時代に塾の講師や家庭教師を行っていたなかで、マナボが展開しているサービスが実現できれば、家庭教師も教えやすく、また、生徒にとっても教わりやすい環境が整うのではないかと常々、考えていたとのことです。

――三橋社長はなぜこのように金額面での学習弱者に寄り添うビジネスを展開されているのでしょうか。
小林 三橋の父は画家です。フランスにも渡り、評価も高かったのですが、家は決して裕福でなかったのです。
電気・水道・ガスが止まるのはあたりまえ、三食の食事にも事欠いていました。経済的には恵まれないなかでも、「宇宙飛行士になりたい」という夢を叶えたかったのです。そのためには東京大学に行くことを望み、学習塾に通いたいと親に希望を出しましたが、返事は「NO」。夢を諦めかけて荒れたときもありましたが、心配した校長先生が父の絵を100万円で買い取ってくれて、それを元手に塾に通い始め、筑波大学附属高校に進学、高校入学後は塾の特待生制度を使い、無料で学べる環境を手にして東京大学に入学しました。そこで「学習の機会は均等にあるべき」という理念が大学時代からふつふつと生まれていたのでしょう。
三橋は「自分は幸運にも学ぶチャンスに恵まれたが、貧困に加えて首都圏と地方では教育格差がある、これを何とかしたい」と常々に申しております。

私は前職のベネッセも含め、教育業界には10年ほどおりますが、こうした篤志家が多いと感じています。
同じく学校の講師も子どもや教えることが好きであり、使命感をもって仕事にあたる方が多いです。

――三橋社長はスマートフォンを使った家庭教師という画期的なサービスをよく思いつきましたね。
小林 三橋は元々教えることが好きで、高校1年生の時から高校3年生に勉強を教え、大学生・大学院生時代には塾や家庭教師で生徒を指導していました。生徒が夜、「この問題を教えて欲しい」という要望があった際、電話でやりとりをしていましたが、数式を電話で説明するのは大変で、「なんとかしたい」とずっと考えていました。スマートフォンが登場したとき、本人からすれば、「これで実現できる」と考えていたのかもしれません。


――わずか短期間で有力な教育関連企業と提携していることに成功しています。一体この秘訣はなんでしょうか。
小林 Z会、栄光ゼミナール、駿台、トモノカイなどと業務提携、サービスの提供を行っております。サービスの内容は異なりますが、たとえばZ会ですと、中学3年生全員に1時間の利用権を付与しています。
この提携成功のウラには、三橋のフットワーク、営業力によることが大きいです。実は、創業前からコネがあったわけではないのです。
まず背景としては、一つはこの数年でデジタル教材の普及が進み、関連イベントもあり、三橋がPRを行うことでさまざまな教育関係者の目にとまり、提携や導入に至ったと言うことです。
あるイベントで参加者側として三橋が出席し、そこでZ会社長の目にとまったという話も聞いており、アピール力の強さがあったのではないかと側聞しております。
あとは、三橋も若くして社長になり、教育業界で革命を起こすという野心にみなさんひかれたのではないでしょうか。とくに、教育業界は年配の方が多く、三橋に期待されていると受け止めました。


ブラック化する塾バイト 原因と対策は


――教育業界を見ると、現在は塾乱立時代で、バイトがブラック化しています。私見で結構ですのでお話しいただけますか。

小林 子どもの数は少子化で減少しています。普通に考えると少子化であれば、塾の数も減少すると思うのですが、塾の数や売上げは減っていません。つまり、昔と比べて塾に通う子どもは増えていると言うことです。そこで教える先生が必要になります。教える先生も少子化で減る一方、競争も激しいので授業料のダンピングも行われており、そこでしわ寄せとして塾の先生のバイト代も減額されている状況が生まれていると想像しています。
次に教育者は、責任感が強くまじめな方が多いので、お金が出なくても頑張ってしまいがちです。学校も部活などで大変であるにもかかわらず、使命感が強い先生が多い。そこで疲れてしまう現状がありますが、これは塾にも共通しているのではないでしょうか。普通の仕事よりもだいぶ大変ですね。


――今、大学への進学率がアップしていますが。私の時代は30%でしたが、今は50%です。これをどう受け止めていますか。
小林 みんな勉強が好きで学力が上がっているのであれば問題はありませんが実際はそうではありません。私立大学は多くの学生を獲得することで利益をあげています。
そこで最近では、AO入試や推薦入試が前よりも普及しています。その時はレベルが低くてもその大学に入学できます。
つまり、一定の大学に入学させるために、一定の塾に通わせる親も増えているのが、今の塾業界の実情かも知れません。そこでなんとなく大学に行く学生が多くなっていますが、その大学では就活の時に苦労する実態もあります。
親からすれば、自分の子どもが高卒ということでは世間体も悪いので、「大卒」というラベルが欲しい。しかし、社会に出たときの就活が別に有利になるわけでもないのです。
親の学歴が上がったことも大きいです。たとえば、親が慶応大学出身であれば、子どもにも慶応に通わせたいと思うのが人情でしょう。そうなると、小学生からの勉強が大事ということになり、塾に通わせることで、より塾の競争が激しくなっているという仮説を考えたことがあります。

――これからの方針は。
小林 教育事業は1年単位です。スパンがほかの事業と比較して長く、普及していくには時間がかかります。。これまでも大規模な塾だけではなく、中小規模の塾へも営業をしていましたが、今後は更にこちらを強化してまいります。

――話は変わりますが、小林部長は堀江貴文さんが社長だった時代にライブドアにいらっしゃったそうですね。
小林 それについては実は、『社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話』を宝島社から出版し、執筆しました。もしご興味があればご一読ください。そこでライブドア時代のことを書いています。ホリエモンさんがすべてで、大変だった一方、いい経験でした。ちょうど近鉄バファローズの買収交渉や選挙に出馬していた頃で、私はガラゲーで着メロを作っており、教育関係ではなかったです。
ホリエモンさんは自由人ですね。曲がったことや空気を読んで人の顔色をうかがうのが嫌いで、自分を曲げない方でしたね。ホリエモンさんはインターネットとテレビの融合を提案されていましたが、今は常識になっていますが当時は早すぎたのでしょう。

――ありがとうございました。
(長井雄一朗)