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サッカー日本代表・長谷部誠の『心を整える。』はなぜベストセラーになったのか

2018年5月16日 15時40分

ライター情報:死亡遊戯


「やっぱり長谷部選手の『心を整える』以降、スポーツ系書籍の傾向が変わりましたよね」

出版社で打ち合わせをしていると、本の発売からすで7年が経過したのに、いまだにそう話す編集者は少なくない。要はここ数年の読者の傾向として「楽しい物語」よりも「自分に役立つ情報」を求めているのだと。お手軽な娯楽はスマホで充分。わざわざ本を買う人は、ビジネス書とか自己啓発系とか少しでも役に立ちそうなものを手に取りがち。だったら、俺は「楽しくて役に立つ情報」の両方が欲しいですけどね。……みたいな話をした帰り道に長谷部本を買ったわけだ。

これまで『心を整える。』は、ページをパラパラめくることはあってもしっかり読んでいなかった。だが、数日前に書店で見かけた文庫版の帯には「140万部突破の国民的ベストセラー」とまで書いてある。しかも印税は全額ユニセフへ寄付の男気。近日中にロシアW杯の西野ジャパンメンバーも発表されるし、今回は思いきって長谷部誠の『心を整える。勝利をたぐり寄せるための56の習慣』で日本代表キャプテンの哲学を読み解いてみよう。


アスリート本なのにサッカーありきでない内容


いきなりだが、この長谷部本に一貫しているのは“真っ当さ”だ。辞書には「まともなさま」「まじめなさま」と書いてある通りの真っ当さ。一種の実直さと言ってもいい。
本連載でも多くのアスリート本を取り上げてきたが、野球選手でもサッカー選手でも共通する一種の“過剰さ”があった。例えば、中澤佑二(横浜F・マリノス)のように「僕はクラブの仲間もある意味で“敵”だと思っている」という鬼気迫る戦闘民族スタイル。遠藤保仁(ガンバ大阪)のように「買い物で並ぶレジもどの列が早いか小さな予測を何度も繰り返していくと、プレー精度も高くなり、判断スピードも上がる」という日常生活の中の些細なことでも訓練に結びつける貪欲さ。
それらは確かに凄い。さすが日本代表で一時代を築いた男たちだ。ただ、我々の社会生活にはなかなか応用しにくい面もある。同僚は敵というスタンスでサラリーマンをやるのは難しいし、昼休みのコンビニの買い物くらい何も考えず休みたい。だって人間だもの。

そう、長谷部の『心を整える。』は一流サッカー選手視点ではなく「僕もあなたと同じ人間ですよ」的なスタンスで書かれている。もちろんボランチが主戦場の長谷部がドイツ・ブンデスリーガの所属チームで監督に物怖じすることなく自分の意見を伝え、チームメイトとのポジション争いに一歩も引かず挑む様子もあることにはあるが、目次に並ぶ項目は「意識して心を鎮める時間を作る」や「整理整頓は心の掃除に通じる」、さらに「お酒のチカラを利用しない」とか「読書は自分の考えを進化させてくれる」という真っ当な社会人になるために新入社員研修で語られそうなことばかりだ。サッカーありきではなく、それらを語る材料としてサッカーに触れている。結果、多くの人がこの本を手に取りやすくなっている。


プロ入り当初はプレッシャーに弱かった長谷部


例えば、試合に負けて落ち込んだり、将来や恋愛のことで悩んだ時は身体と心のメンテンナンスのため、長谷部は「ひとり温泉」であえて自分と向き合うことを選ぶ。湯船に浸かり、宿の周りを散歩したり、部屋で読書するわけだ。孤独は、自由でもある。なるほど、なにか嫌なことがあったらエロ動画を見てリフレッシュする俺も見習いたい……じゃなくて、長谷部は言うのだ。「孤独な時間だからこそ、できることがある」と。

かと思えばドイツで新チームに移籍した際、環境に馴染むためにどんなに疲れていても「チームメイトに食事に誘われたら、絶対に断らない」とマイルールを課す。英語と片言のドイツ語で輪に入り、ピッチから離れて一緒に時間を共有することでチームメイトたちの素顔を知ろうと努める。彼らはライバルであり、同じ目標に向かう仲間でもあるのだから。

こう書くと、長谷部は自分の時間を大事にしつつ、半端ないコミュニケーション能力と鉄の精神力を持つ完全無欠な男だと思われがちだが、プロ入り当初は人見知りで、胃薬の世話になるくらいプレッシャーに弱く、夜遊びに逃げることもある普通の若者だった。失敗と試行錯誤を重ね、海外で揉まれる内に今の思考に辿り着いたのだ。ちなみに一度やり始めるととことんハマる性格と自らの弱さを分かっているからこそ、TVゲームとは距離を置く。息抜きのつもりが朝までやりかねない。ドイツですでに10年間にわたりプレー、ブンデスリーガの日本人選手最多出場記録も更新し続ける男も我々と同じ人間である。

その輝かしいキャリアの武勇伝ではなく、日々の生活の過ごし方を紹介したベストセラーの正体。両親の誕生日には必ず電話とプレゼント、関わる人すべてを幸せにするつもりで働くナイスガイも近年は16年に結婚、翌年には第一子も誕生。ドイツ3チーム目となるフランクフルトではキャプテンマークを巻き、最近はセンターバックとしても安定したプレーを見せるなど、長谷部本人の状況もこの本が出た7年前とは大きな変化があった。
引退後はドイツに留まることを度々明言しているが、欧州で指導者として経験を積み、将来的な日本代表監督就任もあながち夢物語ではないだろう。

来月のロシアW杯でも日本代表キャプテンを務めることが決定的な34歳。そろそろ今の長谷部誠を語る『続・心を整える。』を読んでみたいものである。


【サッカーから学ぶ社会人に役立つ教え】
真っ当な仕事をするには、まずは「まともな大人」になることから。
(死亡遊戯)

ライター情報: 死亡遊戯

79年生まれ。デザイナー兼ライター。プロ野球、プロレス、サッカー、映画、おネエちゃん、なんでも書くストロングスタイルを標榜。『文春野球コラムペナントレース2017』で初代日本一に輝く。

URL:Twitter:@shibouyuugi