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団地はかつて「夢のマイホーム」だった――ひばりが丘団地「夢の跡」#1

2017年4月22日 11時00分 (2017年8月29日 16時41分 更新)

開高健の『ずばり東京』から50年後の東京を描くとしたらどんなテーマを選びますか」と編集部から尋ねられたとき、反射的に「団地」と答えていた。


■最先端の「ダンチ」を夢見た子供時代

 団塊の世代に育った私にとって、団地はまばゆく輝いている。今では想像もつかないだろうが、日本住宅公団(昭和30年設立)の団地には、時代の最先端をいく未来の生活があったのだ。「団地」と書くよりも「ダンチ」がよく似合った。


 そんなイメージがインプットされたのは、小学生の頃だったと思う。母が見ていた雑誌に、昭和34年に皇太子(当時)とご結婚した美智子さまがエプロン姿で台所に立っているグラビア写真があった。母の話では、団地の台所は美智子さまが立つ台所とそっくりなのだそうだ。


 ステンレスの流しがあって、蛇口をひねればいつでも水が出るし、マッチ1本でコンロに火がつく。そのうえ建物がコンクリートだから、地震があっても大丈夫――。


 そんなことをまるで夢見るように語っていた母の姿が浮かぶ。それを聞いて、まだ子供だった私も、まるで未来の生活をのぞき見るかのような気持ちになった。


■戦前のままだった田舎の我が家

 当時のわが家といえば、田舎ゆえに建物こそ大きいが、まだ見ぬ団地の生活とはまるで正反対だった。


 井戸は建物の中にあったが「つるべ」で汲み上げ、それを水壺に貯めて使っていた。土間にはへっつい(かまど)があって、薪に火をつけて煮炊きするまで準備に2、30分はかかった。

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