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ご存知ですか? 10月13日は初の皇室会議が開かれ、11宮家51人の皇籍離脱が決まった日です

2017年10月13日 07時00分 (2017年10月14日 06時41分 更新)

 いまから70年前のきょう、1947(昭和22)年10月13日、新憲法下の皇室典範第5章に従い、初の皇室会議(議長は片山哲首相=当時)が開かれた。この会議で、皇族のうち、天皇と直接の血縁関係にある直宮(じきみや)を除く11宮家51人の皇籍離脱が決定。翌日には51人の皇族が一般市民となった。



 皇籍を離脱した11宮家は、伏見宮・東伏見宮山階宮・久邇宮・北白川宮・閑院宮・賀陽宮東久邇宮・梨本宮・朝香宮・竹田宮家。このころ占領政策を推し進めていた連合国総司令部(GHQ)は、すでに敗戦直後より皇室財産への課税を命じていた。各宮家では財産総額の大半が課税対象とされたため、不動産などの多くを手放さざるをえなかった。梨本宮家は伊豆山の別邸を、「乗っ取り屋」と呼ばれた実業家の横井英樹に売却、これについて梨本宮守正王妃の伊都子は、「あんな三四歳の青二才、しかしこっちも税金がたすかるから……」と1946年11月25日付の日記につづっている(『昭和 二万日の全記録 第8巻』講談社)。


 戦後まもなく憲政史上唯一の皇族首相となった東久邇宮稔彦王も、皇籍離脱後は自活する必要から、新宿のマーケットに乾物店と美術骨董店を出し、米菓子の製造機販売にも手を出したが、いずれもうまくいかなかった。このほか、皇籍離脱にあたり各人に支給された一時金を狙う者もおり、事業を持ちかけられ、食い荒らされる旧皇族も少なくなかったという(本田靖春『現代家系論』文春学藝ライブラリー)。

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