球場の雰囲気が一変したのは9回裏、4点を追う東邦が攻撃に入る直前だった。ブラスバンドが演奏を始めるとその曲調に合わせ、球場中から手拍子が湧き起こる。
この奇妙な現象が、すべての始まりだったーー。

この夏の高校野球全国大会、甲子園を舞台に起きた“あの出来事”を彼らはどう捉えたのか? 前編記事(史上最大の逆転負けで八戸学院光星が垣間見た「甲子園の魔物の正体」)に続き、八戸学院光星ナインと仲井監督が死闘をふり返る。

■「光星の応援は10人ぐらいに感じた」

だが、グラウンドで異様な声援という風圧を浴びていた光星の選手たちの感じ方は違った。捕手の奥村は「あとひとつで勝利だとは思えなかった」と言う。

その言葉どおり、ここから東邦は連続ヒットで希望をつなぐ。光星野球部の部長・小坂貫志(かんし)が回想する。


「最後、打たれたのは全部、逆球(捕手の構えと逆のボール)ですよ。うちのピッチャーは、完全にあの雰囲気にのまれたんでしょう」

7回からリリーフし、悲劇の主人公となったエースの桜井一樹は言う。

「周り全部が敵に見えて、体の奥底にある気持ちが…抑えてやりたいという気持ちが強く出すぎて、力んでしまったんだと思います」

東邦は連打で1点を追加し、7-9と2点差に詰め寄ると、スタンドのボルテージは最高潮に。観客は手を叩くだけでなく、プロ野球の応援のようにそこかしこでタオルを回し始めた。ライトの田城は、こう毒づく。

「味方のアルプススタンドも、上のほうと下のほうのお客さんはタオル回してましたから。
なんで、そっちにおんねんって(笑)。そんな俺ら、悪もんなん?って」

甲子園のグラウンドはコロシアムのようにそそり立つスタンドに囲まれている。反響が反響を呼び、集団心理が加速していく。仲井監督が言う。

「観客は応援したいというより、なんか、すごく楽しそうに見えましたよね……」

センターからその光景を眺めていた小日出大里(こひで・だいり)は言う。

「言い方は悪いですけど、悪ノリしているというか……」


2アウト一、二塁。
ここで7番・髙木舜に投じた桜井の4球目も、やはり吸い込まれるように真ん中高めに浮いた。髙木の打球は左中間を破る2点二塁打となり、ついに9-9の同点。

もはやスタンドは燃えさかる炎の中にさらに薪(まき)をくべるような雰囲気で、興奮のるつぼと化していた。光星の先発投手としてマウンドに立ち、このときはベンチで見守っていた和田悠弥がふり返る。

「ベンチからは何を言っても伝わらないし、最後はグラウンドの9人だけで野球やっていた。僕らのベンチの上のお客さんもタオルを回してましたから。
光星の応援も聞こえましたけど、球場全体で10人ぐらいに感じました」

試合を決めたのは、東邦の8番・鈴木理央だった。ここまで無安打だったが、異様な大歓声を「野球人生で初めての感覚だった」とふり返った鈴木は、高めに浮いたスライダーを芯でとらえる。

「盛り上がりすぎて、打てる気ぃしか、しなかった」

打球はレフト前で弾み、サヨナラのランナーが二塁から生還した。マウンド上の桜井は、そのシーンをまったく記憶していなかった。

「無意識のなかで投げていたので、覚えてないっす…」

■暴走を始めた甲子園のファンの温かさ

甲子園のファンは温かいといわれる。しかし、その温かさが理性を失い暴走を始めると、時に“刃”(やいば)となりうる。
その残酷さを感じた一戦だった。

ただ、選手たちは口では「あの応援、イラついたわ」と冗談半分で愚痴るが、観客に矛先を向けることはしなかった。

捕手の奥村が言う。

「自分がお客さんでも、あの雰囲気になったら一緒に応援してたと思う。それをダメと言ったら、お客さんいらないって話になっちゃうんで」

長い甲子園の歴史のなかで、最終回4点差からのサヨナラ劇は、今回が3度目だった(7回以降の7点差は最大得点差タイ)。そのなかで今回、東邦が放った6安打は最多である。


仲井監督はこう言ってシャッポを脱ぐ。

「練習でマシン相手だって打ち損じはあるのに、あの場面、東邦さんは全部ジャストミートでした。応援の力もあったかもしれませんが、それだけじゃない。相手の力が上だった」

こういう悲劇があると、周りの大人は「選手たちが野球嫌いになってしまうのでは」とよけいな心配をしがちだ。しかし、彼らはそんなにヤワではない。いまだに「最後の場面だけは映像を見られない」とこぼす奥村も言う。

「むしろ、こういうことがあったから、大学でまた野球をやりたいと強く思いましたね。もうあれ以上、怖いものもないと思いますし(笑)」

ベンチ入りメンバーのほとんどが、大学でも野球を続ける予定だという。甲子園の土は持ち帰らなかったというエースの桜井は、その理由を「夢があるので」と語った。

「いつかプロになって…」

その先の言葉は、心の内に押し込めた。

(取材・文・撮影/中村 計)

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