阪神矢野燿大(あきひろ)新監督(49)が誕生した。今季17年ぶり最下位に沈み「解任に近い辞任」となった金本監督の後釜として、指名された矢野氏。

今季2軍監督として「超積極野球」を掲げ、ウエスタン・リーグ記録を更新する163盗塁をマークするなど快進撃。8年ぶりのリーグ優勝、ファーム日本選手権では巨人を破り12年ぶり日本一へと導いた。2軍では (1) 超積極的 (2) 諦めない (3) 誰かを喜ばせる、の3箇条を浸透させ、若い選手たちを生き生きと躍動させた。

「27球で試合終了になってもいい」 阪神矢野新監督の超積極野...の画像はこちら >>

・合わせて読みたい→
「ノムさんの右腕」が語る「野村ノート」、「ID野球」誕生秘話(https://cocokara-next.com/athlete_celeb/masanorimatsui-chronicle-04/)

(1) 超積極的
「初球を打つ。失敗してもいい。初球を打とうとすると、準備力が上がる。

どういう配球でくるか、どうタイミングをとるか。盗塁も同じこと。今日は「全員スタートを切れ」と言った試合もある。アウトになっていいからって。制限をつけてしまうと選手はチャレンジできない。全員初球打ちで3球でチェンジ、1試合27球で終わっても構わない。
自分も現役時代、前の打者が初球を打ったからと考えて、甘い初球を見逃していた。ファーストストライクはダルビッシュであろうがマー君(ヤンキース田中)であろうが、被打率は上がる。そこを1発で仕留めるレベルを上げていかないと、何も変わらない。準備した結果の凡打なら構わない。ファウル、空振りをしたら、次にどうしようかと考える。前に進める。
何もしないで初球から見逃していたら、何も見えない」

→意識改革の象徴が盗塁数。昨季89個のチームが、163個のリーグ新記録を樹立した。

(2) 諦めない
「できることからやろうと。急には打てなくても、全力疾走はできる。際どいプレーでセーフになると、野球って流れが変わったりするんですよ。普段の意識づけ。

だから凡打でも一塁までしっかり走ったら『ナイスラン』ってベンチで言います」
「今の選手を見ていると『失敗したらどうしよう』と感じることが多い。打ったらゲッツー(併殺打)になる。そうしたらバットが振れない。そういうところを解放したくて。誰かからどうこう言われたとかじゃなくて、自分の責任で、バットを振って、結果が出なかったら練習すればいいだけ。失敗の責任は指導者にある。
考え方をプラスの方に、前に向かせていくのが我々の仕事。ちょっと意識を変えるだけでも違う。選手には野球人生の後悔をできるだけ少なくしてやりたい」

(3) 誰かを喜ばせる
「ファンに喜んでもらう選手を育てたい。2軍でヒーローインタビューをやらせて『チームの勝利に貢献できるように頑張ります』とか、しょうもないことは言うなと伝えている。「明日も盗塁するので見に来てください」とか「フルスイングを見てください」とか、そういうところから応援したいなと思ってもらえる選手になってほしい。サインをする、写真を撮るとか、応えるのは当たり前。

それで費やした時間は、あとでいくらでも取り返せる」

「自分だけのため練習をしようと思ったらしんどい。苦しいときに誰かのためにと思ったら頑張れる部分はもっと出てくる。雨が降って、大差で負けてボロボロな試合のときに、当時の星野(仙一)監督から『お前らファンに恥ずかしくないんか!』と怒鳴られた。選手はベンチに帰ったら雨はしのげるけど、ファンの人はずっと濡れながら試合終了まで応援してくれている。何かを感じさせるプレーを見せないといけない」

--現役時代は中日、阪神の2球団で6人の監督に仕え、優勝も経験した。歴代監督に学んだ部分は多かった。
「今、僕が選手に話していることって、精神的部分は星野監督、頭脳的な部分は野村(克也)監督が多いんですよ。星野監督からは勝負にこだわる気持ち。いまは高校大学の先輩が相手チームにいるから、試合前にあいさつにいきますよね。東北福祉大の先輩だった大魔神・佐々木(主浩)さんにあいさつをしたとき、星野監督に『てめえ、この野郎、今から戦いをするのに、なに相手に頭下げとんじゃー』と。ファンが球場に入っている時、違うユニホーム同士で話すのは違和感がある。そういうファンを大事にするっていうのも、すごく教わりました」

--阪神1軍作戦兼バッテリーコーチだった昨季、ヤクルト戦の乱闘でバレンティンに突き倒され、そのあと膝蹴りをお返しし、退場処分を受けたことがありました。熱血漢だった星野監督の影響もあるのか。
「試合への熱い気持ちは大事ですが、選手には乱闘禁止と伝えています(笑い)。星野監督には中日時代にトレードで出されて『見返してやる』という思いのほうが強かった。そしたら阪神の監督として同じチームにきた。『また捨てられるのか』とも思った。阪神では中日時代と違って声をかけてくれるようになり、試合でも使ってくれた。現役をやめるときに「よく頑張ったな。お前のおかげで優勝させてもらった」といわれて感無量でした」

--現役時代に12本のサヨナラ打(犠飛含む)を放ち、勝負強い打撃が特徴だった。
「野村監督の、ひとことがすごく大きかったんです。僕はストレートを狙って変化球に対応できるようなバッターではない。そうなると『読み』しかない。ボールが来る前に勝負をすることを言われました。考えた球が来なくて見逃し三振をしても、自分の中ではその前に勝負をしているので仕方がない、と割り切れるようになった。規定打席で打率3割を打てたのも、野村監督のときが最初でした」

--捕手としてノーヒットノーランで2度(中日野口茂樹、阪神川尻哲郎)マスクをかぶっている。
「中日では中村(武志)さんがいて、リードを盗もうと必死だった。野村監督には『感じる力』を勉強させてもらった。ベンチで見ていて野村監督が『走るぞ』と言うと、走者がスタートを切る。なんでやろ?と。走者のリードオフで1歩目の違和感、リードの体重のかかり方など、いろんなことが感じとれるようになった。バットを短く握ってるからバントかな、ちょっと投手が不安そうだからマウンド行こうとか。状況や人をよく観察することで視野が広がりました」

--投手に求めるものは
「どうすれば自分の投球が1軍で通用するのか考えさせたい。クイックは1・25秒ぐらいは切ってほしいけど、ブルペンでそういうことはあまり気にしないで、気持ちよく投げる子が多い。もっと、気持ち悪く投げてほしい。1・25秒を切るモーションで投げたらどうなるのか、というところから逆算してほしい。いい投手はブルペンから試合を意識してやっていますからね」

 自らが学び、感じたすべての経験を糧に導き出した答えが「超積極野球」。矢野新監督のタイガース改革が始まろうとしている。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

矢野 燿大(やの・あきひろ)

1968年(昭43)12月6日、大阪府生まれ。桜宮―東北福祉大を経て90年ドラフト2位で中日入団。97年オフに交換トレードで阪神移籍。ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞2度。08年北京五輪代表。10年に現役引退し、16年コーチで阪神復帰。181センチ、78キロ。右投げ右打ち。