「人のことを気にしている場合じゃない」とわかっていても、つい他人と比較してしまうこともあるはず。

私の方が頑張っているはずなのに……。

私だってちゃんとやっているのに……。そんな黒い心を抱えて「何者か」になりたくてあがいていた、イラストレーターのあらいぴろよさん。ある時、職場の上司に「自分の努力の価値を高めるに他人の価値を下げるな」と言われてしまいます。

そんな未熟な自分を深く掘り下げた最新刊『美大とかに行けたら、もっといい人生だったのかな。』(光文社)から、他人に自分の心が振り回されていた理由を振り返っていただきました。

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圧倒的強者を前にすると自分が弱者のままでいられる

——うまく行っているように見える人でも何かしら悩むこともあると思うのですが、作中に出てくるA子さんみたいにパーフェクトな人っていますよね。

憧れる反面、そういう人が隣にいたらツラいと思いました。

あらいぴろよさん(以下、あらい):仕事がデキて美人で人望もあるA子さんですね。隣の席にいると、心がブルブルするんですよ(笑)。嫉妬や羨望でブルブルするというのもあるんですけど、「圧倒的強者を前にすると自分が弱者のままでいられる」と、ラクしようとしている自分に気づかされた時はめちゃくちゃ震えました。勝手にA子さんをひとつ上のステージに上げて、自分を変えようとしないことを肯定するための言い訳に利用していたんです。怖いですよね。

——それは怖い。ときどきA子さんがハッとするようなことを言うのも印象的です。「営業が大変で」とか。それって、A子さん自身ももがいているからこそ出てくる言葉ですよね。

あらい:そうだと思います。勝手に憧れの存在に押し上げてしまっているから、華やかさがバリアみたいになって、こちらからは本当のA子さんが見えていなかったんですけど。

私、A子さんになりたかった時期があったんですよ。でも、A子さんにはなれないし、自分が持っていないもので自分を上機嫌にしようとしても、結局何も埋まらないんですよね。

——作中に、イラストレーターになる夢を叶えたのに「ちっとも満たされねぇぇぇ!!」と叫ぶシーンがあります。

あらい:「何者か」になりたくてイラストレーターになったわけですが、「こんな自分、自分じゃない」「本当はもうちょっとやれるはずなんだ」と、自分で自分を否定してしまっていたから、心の穴が埋まらなかったんです。で、「ちっとも満たされねぇぇぇ!!」。イラストレーターになる夢を叶えても、結局「何者か」になった気がしていただけで、鎧を着ただけで中身の自分は何も変わってないというか。

——そこそこ実績ができてきたり、「次の仕事はあなたに」とか言われたりすると、「もっと頑張らなきゃ」「できるように見せなきゃ」と、だんだん雪だるまみたいな感じでまわりに何かがくっついてくるんだけど、自分の芯は小さいまんまという人は多いと思います。

あらい:雪だるまのたとえ、いいですね! 自分はそのまんまなのに、まわりだけ何かで固めていっても、陽に当たったらとけちゃうわけだから、とけないようにとけないようにとおびえながら生きなきゃいけない。全然心が安まらないですよね。

「私だって頑張ってるのに」が口癖の貴女へ。あの人に心がザワつく理由とは?

自己肯定感が高いんじゃなくて自己愛が強い

——A子さんのほかには、B子さんという印象的なキャラクターが出てきます。B子さんは芸術家気取りの後輩で、絵はすごく上手いけど、自分のやりたい仕事しかしない。自己肯定感が高めの子です。

あらい:B子さんの場合は、自己肯定感が高いんじゃなくて自己愛が強いんだと思います。自己肯定感が高い人って、自分をそのまま認められる人なので、自信をもって戦えますよね。一方、自己愛が強い人は自分を守るほうに力を注いでいるから、なかなか前に進めない。だから自信もつかない。

一見自信満々で自分のこと大好きに見えるし、楽しそうにしているので誤解されやすいと思うんですけど。でも、そこまで守り続けたいと思える自分がいるというのは、ある意味うらやましいです。

私は、A子さんの生き方もB子さんの生き方も、どっちの感じも取り入れていきたいなと思っています。中途半端ですが(笑)。

——中途半端っていうと悪い言い方になるかもしれませんが、グレーでいる感覚って大事だと思います。善悪や白黒つけることに価値をおいていると、「自分は正しいのに、なんでわかってくれないの!」と思いがちです。

あらい:私も「0か100か」、白黒つけるのにこだわっていました。たとえば、相手からの評価が自分の満足いくものでなかったら「0」だと感じて相手を憎んだりしましたし、いい評価だったら「100」をキープできるよう、相手に見捨てられないように必要以上に頑張ったりしていました。

でも、A子さんに聞いた「世界の2割が敵で2割が味方、残りの6割は無関心」という言葉がありまして。6割の人が私のことをどうでもいいと思っているし、認めてくれる2割の世界を極める必要はないのかなと、今では思っています。極められる人にそこは任せてしまえばいい。

——作中では、「この曖昧さを抱えて生きていく」と描かれてますね。

あらい:それは自分がそこまで強くないし、そこまで強くある必要はないと思ったからです。「これしか正解がない」とか「正解を出し続けなくてはいけない」と思うと苦しいから、そのために曖昧さは必要だと思います。

「自分は可哀想」と思い始めたら赤信号

——多くの人が「曖昧さ」を受け入れられないのは、自分に厳しすぎるからでしょうか。

あらい:そうだと思います。それが「もっと頑張らないと」「もっと○○すれば××のはず」という考えにつながっていくのかもしれません。でもそうなってしまうとツラいし、「自分は可哀想」ってなりがちですよね……。でも、「自分は可哀想」って思い始めたら赤信号ですよ! 「可哀想思考」に陥ると、何をしても妬ましいし、悲しいし、むなしい。

——特に都心部にいると、そういう感覚に陥ることが多いです。何者かになっている、何かを持っているように「見える」人がゴロゴロいるから、余計ツラいのかなと。

あらい:私、原宿で自転車をこいでいる人を見ただけで傷ついてた時期ありましたよ(笑)。あ~あの人原宿住んでるんだ~いいな~って、心がパキッと折れちゃう(笑)。羨ましすぎると戦意喪失して、それどころか自分が可哀想に思えてきちゃうんでしょうね。

——「みんな持ってる」と勘違いして、持ってない自分が可哀想になってしまうんですね。子供の頃にテクマクマヤコンのコンパクトがほしくて、「みんな持ってるから!」と親にねだったことを思い出しました。

あらい:わかります! 子供の頃は「みんな」の範囲がめちゃくちゃ狭いから、自分だけ持ってないとすぐに心が孤立しちゃうんですよね……。

でも、大人になったら世界は広くて、自分だけじゃなくてみんなも持ってなかったりして、しかも抜け道もあったりする。それが見えてないだけなんだと思います。私がB子さんのことを否定していたのも、A子さんを勝手に絶対的強者にしていたのも、周りが見えていなかったからです。見ようとしていなかったとも言えます。

だからB子さんのことも自分のことも受け止めることができず、前に進めなかったけど、「イタい」自分と付き合うためには、閉じている目を開くしかないと思っています。

「私だって頑張ってるのに」が口癖の貴女へ。あの人に心がザワつく理由とは?

(取材・文:須田奈津妃)