平凡社 世界大百科事典

アユタヤ朝

タイのアユタヤに首都を置いたタイ族(シャム族)の王国。1351-1767年。417年にわたる王国史にはウートーン王家(1351-70,1388-1408),スパンナプーム王家(1370-88,1409-1569),スコータイ王家(1569-1630),プラーサートーン王家(1630-88),バーンプルールアン王家(1688-1767)の5王家の交代支配が見られる。アユタヤはメナム(チャオプラヤー),ロッブリー,パーサック3河川の合流点にあって,14世紀前半にはすでに交易の中心として繁栄していた。ここに首都を定めて新王国を創始したサンガを再興させるなど,名声は海外に響いたが,その後衰退し,1767年ビルマ軍の侵略を受けて王国は滅亡した。

石井 米雄

美術

王都アユタヤを中心に栄えた美術は,一般に〈国民美術の時代〉といわれる。その理由はその王朝以前に栄えたスコータイ朝美術の様式をうけつぎ,まったくタイ独特の美術が開花した時代であったからである。仏教美術が主体のため,多くのブロンズ製,漆喰製(煉瓦を芯とする),砂岩製の仏陀像が造られた。これらの作風は基本的にはスコータイ様式を継承したものであるが,一般にスコータイ朝の仏陀像より作品に生気が失われ,逆に台座等に豊かな装飾性をおびるようになる。この装飾性を代表する例として,宝冠仏がきわめて多く造られた。宝冠をかぶり,身体中に装飾をほどこされた仏陀像の流行である。また砂岩製の仏陀像が17世紀前半に復活したことも注目される。これは,プラーサートーン王がカンボジアに遠征し,この結果,石仏を得意としたクメール美術がアユタヤに導入されたことによる。さらに,工芸美術のうえでも見るべきものが多い。例えば,木造建築の寺院の扉にほどこされた象嵌細工や木彫浮彫,黒漆に金泥で絵を描いた書箱等がある。そして陶器としては,ベンチャロンと呼ばれる五色の茶碗が知られている。その他,絵画の世界では,やわらかなタイ独自の筆法による,身体をくねらせた人物などの描かれた紙絵の折畳みの絵本(仏教の説法画など)があげられる。当時の建築としてはアユタヤに多くが残り,特に重要な寺院には,ワット・プッタイサワン(初期),ワット・プラ・シー・サンペット(中期),ワット・チャイワタナラームやワット・プーカオ・トーン(後期)等があげられる。建築の形式もスコータイ朝からの継承ではあるが,特にタイ建築用語でプラ・プラーンと称する塔堂には,きわめて高く積み上げられた構造のものを見る(例,ワット・ラーッブラナ等)。

伊東 照司